主な弟子門下たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:35 UTC 版)
東嶺円慈(1721-1792) 誰もが認める白隠の一番弟子。三島の龍沢寺を開創。 遂翁元盧(1717-1789) 東嶺と双璧の白隠の弟子。白隠から松蔭寺を受け継いだ。お酒を好んだと言われる。 峨山慈棹(1727-1797) 多くの弟子を育て、白隠禅の法系を現在まで伝えた。隠山惟琰も卓洲胡僊も峨山の弟子である。 斯経慧梁(1722-1789) 専門僧堂として妙心寺派の円福僧堂を京都の八幡に開単した。 快岩古徹 古月禅材のもとで大休と修行し、後に縁あって白隠のもとで大悟した。山梨県長光寺に住した。 大休慧昉(1715-1774) 白隠のもとで大悟し、東福寺派の岡山の宝福寺に住した。 霊源慧桃(1721-1785) 白隠禅師のもとで長く修行し、天龍寺僧堂へ出世した。 天倪慧謙(1723-1794) 東福寺派僧堂の常栄寺の第十世。白隠十哲の一人。 提洲禅恕(1720-1780) 伯耆(鳥取県)の人。白隠の著作で禅語の語録『荊叢毒蘂』の編集に当たった。 良哉元明(1706-1786) 白隠が初めて印可を出した弟子。初め日向大光寺の古月禅材に参じて悟りを開いた後、駿河に行き松蔭寺の白隠慧鶴に師事した。 葦津慧隆(1720-1769) 出雲(島根県)の人。永徳寺に住した。白隠下の二畸哲の一人。池大雅の参禅を受けた。 円桂祖耗(1715-1774) 大休慧昉や快岩古徹とともに白隠の侍者をした。松江の天倫寺住職。 環渓祖提(生没年不詳) 遠江の勝光寺に住す。 梁山義存(1717-1786) 遠江浜松の寿量院に住す。環渓祖提の法弟である。 悟庵禅聡(1685-1767) 遠江の広厳寺の住職。 長沙恵法(1710-1781) 遠江の瑞応寺(方向寺派)に住寺した。 滄海宜運(1722-1794) 日向の報恩寺(妙心寺派・現廃寺)に住した。 大同曇慧(1730-1780) 豊後の月桂寺に住した。 層巓方邃(1722-1782) 信州飯田の瑞泉山龍翔寺(妙心寺派)の六世。 頑極禅虎(?-1794) 播磨の横峰山大梵寺(妙心寺派)の住した。 格宗浄超(1711-1790) 黄檗宗の格宗は白隠に参禅後、萬福寺の住持に出世。 恵昌尼(?-1764) 夫と死別後、尼となって白隠禅師に参禅し見性した。 以下は居士の弟子 山梨了徹居士(1707-1763) 駿河庵原の大財産家で酒造業を営む豪族である。沢水法語の言葉を聞いて発心して大悟する。 阪自洞居士(生没年不詳) 沼津の人で、18歳で白隠に参禅し、十日で『隻手の音声』の公案を透過した。 古郡兼通居士(1695-1746) 小田原城主稲葉丹後守の家臣で、はじめ日蓮信者であった 阿察婆(1714-1789) お察ばあさんは、白隠の親戚の娘である。 政女 茶店婆 原駅の婆
※この「主な弟子門下たち」の解説は、「白隠慧鶴」の解説の一部です。
「主な弟子門下たち」を含む「白隠慧鶴」の記事については、「白隠慧鶴」の概要を参照ください。
- 主な弟子門下たちのページへのリンク