主な国の動向
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「モスクワオリンピック」の記事における「主な国の動向」の解説
冷戦でソ連と対立するアメリカ合衆国のカーター大統領が1980年1月にボイコットを主唱し、日本、分断国家の西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会(IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていたが、1960年代以降ソ連と対立関係にあった中華人民共和国、イラン、パキスタンといったソ連の軍事的脅威に晒されアフガニスタン同様の事態を恐れる諸国、および反共的立場の強い諸国など50カ国近くがボイコットを決めた。 一方で、西欧・オセアニアの西側諸国の大半、すなわちイギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。 また、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの開会式の入場行進には参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。 これらの参加した西側諸国は概ね国旗を用いず、優勝時や開会式などのセレモニーでは五輪旗と五輪賛歌が使用された。ただし、ギリシャは国旗を用いている。
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主な国の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:06 UTC 版)
「1980年モスクワオリンピック」の記事における「主な国の動向」の解説
冷戦で、ソ連と対立していたアメリカ合衆国は1979年のソ連のアフガニスタン侵攻を口実に、五輪からソ連を締め出すことを決断しアメリカオリンピック委員会もこれを了承した。アメリカのカーター大統領が1980年1月にボイコットを主唱したことから、日本、分断国家の西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会 (IOC) 理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていたが、1960年代以降ソ連と対立関係にあった中国やイラン、サウジアラビア、パキスタン、エジプトなどといったアフガニスタンでムジャヒディンを支援するイスラム教諸国、および反共的立場の強い諸国など50カ国近くがボイコットを決めた。アメリカはコートジボワール、イタリア、日本、西ドイツ、中国といったボイコットした国々に対してモスクワ五輪に対抗した競技大会を準備し、リバティ・ベル・クラシック(英語版)という名前で1980年7月にフィラデルフィアで開催した。 一方、西欧・オセアニアの西側諸国の大半、すなわちイギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。イギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの、開会式の入場行進には参加せずイギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。 これらの参加した西側諸国は概ね国旗を用いず、優勝時や開会式などのセレモニーでは五輪旗と五輪賛歌が使用された。ただし、ギリシャだけは国旗を用いている。
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