株式会社丸い伊藤商店 (まるいいとうしょうてん)はかつて北海道 北見市 に存在したセイコーマート 傘下の卸売 商社 。同市内で百貨店 「まるいいとう」を経営していた。
概要
株式会社丸い伊藤商店
設立 - 1914年(大正3年)3月11日
本社 - 北海道北見市とん田東町398
事業内容 - 卸売業(飲食料品・飼料・酒類)
まるいいとう百貨店については、丸い伊藤商店#沿革(まるいいとう百貨店) を参照の事。
1914年 (大正3年)3月11日 - 新潟県 の士族に生まれた伊藤元治が奉公に出されていた北海道 の呉服店丸井今井 から独立。当初は湧別 が独立の候補地であったが、視察の結果いっそうの発展が予想されるとして北見市 (当時は野付牛村)にいとう金物店 として創業。
1915年 (大正4年) - 陸別町 に陸別支店を設置。
1921年 (大正10年)7月15日 - 斜里町 に斜里支店を設置。
1924年 (大正13年)4月18日 - 東京都 北豊島郡 板橋町 に板橋支店を設置。北海道から本州に進出する。
5月2日 - 東京都中央区 蛎殻町に人形町支店を設置。
10月15日 - 東京都南足立郡 千住町 に千住支店を設置。
1925年 (大正14年)12月17日 - 株式会社伊藤商店 に改組。本社は人形町に。
1928年 (昭和3年)10月4日 - 陸別支店を廃止・譲渡。網走市 に網走支店を設置。
10月5日 - 商号を株式会社丸い伊藤商店 に改める。
1930年 (昭和5年)10月23日 - 板橋支店を廃止。
1933年 (昭和8年) - 網走市・遠軽町 に卸部出張所を設置。
5月6日 - 本社を千住支店に移転。人形町支店を廃止。
1942年 (昭和17年) - 遠軽卸部出張所廃止。
1943年 (昭和18年) - 第一次企業整備令により斜里支店を廃止。
1944年 (昭和19年)2月 - 新興食品工業株式会社を設立。
7月14日 - 北見醸造株式会社を設立。
12月20日 - 第二次企業整備令により網走支店を廃止。
相内町(北見市)に相ノ内漬物工場を設置。
1945年 (昭和20年)3月14日 - 戦災に遭い千住支店焼失。
1947年 (昭和22年)3月11日 - 創業者で初代社長の伊藤元冶死去。二代目社長に伊藤元一郎が就任。
1950年 (昭和25年)7月 - 金物部を設置。
1953年 (昭和28年)4月1日 - 神奈川県 横須賀市 に横須賀支店を設置。
1954年 (昭和29年)11月 - 第一回百円均一を開催。
1956年 (昭和31年)9月18日 - 通産大臣より百貨店営業が許可される。
11月12日 - 千住支店・横須賀支店を分離、独立。再び北海道のみでの活動となる。
1961年 (昭和36年)2月 - 卸部内に飼料部門を設置。
1964年 (昭和39年)11月24日 - 卸部釧路出張所を増築。
1965年 (昭和40年)6月 - 社歌制定。
1966年 (昭和41年)3月15日 - 丸い伊藤商店五十年史を発行。
1997年 (平成 9年)4月1日 同じくセイコーマート傘下の帯広市 の道東酒販と合併、株式会社道東伊藤 となる[ 1] 。
まるいいとう百貨店
まるいいとう
店舗概要
所在地
北海道北見市大通東1丁目1
開業日
1914年 (大正3年)7月15日 (丸い伊藤呉服・金物店 北見支店)
閉業日
1986年 (昭和61年)7月
施設管理者
株式会社 丸い伊藤商店
商業施設面積
6,717 m²
店舗数
1
前身
丸い伊藤呉服・金物店 北見支店
後身
駅前プラザHOW
商圏人口
250000
最寄駅
北見駅
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屋号の「丸い」は丸井今井からののれん分け であることを意味しており、更により親しみ易さを感じさせる為に平仮名を使用していた。
沿革(まるいいとう百貨店)
前史
1914年 (大正3年)3月11日 - 新潟県 の士族に生まれた伊藤元治が奉公に出されていた北海道 の呉服店丸井今井 から独立。当初は湧別 が独立の候補地であったが、視察の結果いっそうの発展が予想されるとして北見市 (当時は野付牛村)にいとう金物店 として創業。
5月11日 - 大火の火災に遭い店舗全焼。
7月15日 - 店舗を新築し呉服類を仕入れ丸い伊藤呉服・金物店 として再開。
1920年 (大正9年)11月 - 北見店を2階建てに改築。卸部独立。
本史
1929年 (昭和4年) - 北見支店を増築し百貨店形態に改める。食料品卸部を移転。
1948年 (昭和23年)5月1日 - 北見支店2階に映画館、丸いシネマを開館。
1951年 (昭和26年)9月 - 丸いシネマを株式会社北見映画劇場として法人化し移転。
10月 - 北見支店百貨店部を全館開放し売場を拡充。
1956年 (昭和31年)11月15日 - 百貨店部増築。
1957年 (昭和32年)3月7日 - 日本百貨店協会 に加入する。
1960年 (昭和35年)4月1日 - 百貨店部に外商課を設置。
1964年 (昭和39年)3月15日 - 百貨店部新館着工。
11月14日 - 丸い食堂株式会社を設立。
11月17日 - 百貨店部新館開店。鉄筋コンクリート造、地下1階地上6階、売場面積は約4720平方メートル。
1976年 (昭和51年)6月1日 - 白亜地下1階地上6階、売場面積6717平方メートルの新館を建設し開店[ 2] 。
1979年 (昭和54年)2月22日 - 丸井今井と業務提携を結び役員の派遣を受ける[ 2] 。
1982年 (昭和57年)- 61億3000万円の売上を記録[ 2] 。
1985年 (昭和60年)- きたみ東急百貨店 や郊外大型量販店の開店により売上が35億円台まで低迷、累積赤字は1月末で店舗新築の際の長期借入金を含め16億9000万円に膨れ上がる[ 2] 。
9月12日 - きたみ東急百貨店との業務提携が決定。
1986年 (昭和61年)3月1日 - 経営不振の克服は困難とし役員会で百貨店の自主廃業を決定[ 2] 。
4月 - 株主総会で伊藤社長辞任[ 2] 。
7月 - 百貨店閉店。従業員104人は一旦退職ののち希望者はきたみ東急百貨店や北見バス などの東急系企業、丸い伊藤商店に再就職する旨で合意[ 2] 。
後史
主なフロア構成
百貨店業態変更(1929年(昭和4年))
階
フロア概要
3F(屋根裏)
バックヤード
2F
映画館「北見映画劇場(旧「丸いシネマ」)」
1F
第一次増改築(1956年 (昭和31年)11月15日)
第二次増改築(1964年 (昭和39年)11月17日)
売場面積は約4720㎡となる。
階
フロア概要
6F(塔屋(中型)3F)
直営デパート大食堂
5F(塔屋(大型)2F)
4F(塔屋(大型)1F)、屋上
3F
2F
1F
地下1F
第三次増改築(1976年(昭和51年)6月1日)
売場面積は6717㎡となる。
階
フロア概要
小型塔屋1F、屋上
6F
レストラン街(直営デパート大食堂等)
5F
4F
寝具・タオル売り場
3F
2F
1F
化粧品店、紳士ワイシャツ・靴下、ネクタイ売り場、煙草店、切手ショップ
地下1F
駅前プラザHOW(1986年(昭和61年)9月13日 ~ 1998年(平成10年)4月。「きたみ東急」傘下の後継商業施設時代)
階
フロア概要
小型塔屋1F、屋上
6F
バックヤード、閉鎖
5F
バックヤード、閉鎖
4F
バックヤード、閉鎖
3F
カルチャー&ヘルシー・パーク(道新文化センター等、カルチャーセンター )
2F
テイスティー・ファッション・ストリート(アパレルショップ 、子供服、軽食喫茶、洋服リフォーム、休憩所および子供向け遊び場)
1F
マイ・バラエティ・ショップ(園芸店、ドラッグストア、健康器具・健康食品、文房具・事務用品、靴店、宝石・貴金属、婦人雑貨、エプロン専門店、化粧品店、煙草屋、喫茶店)
地下1F
デリシャス・マーケット(デパ地下 型食料品店、日用雑貨、パン屋、ラーメン屋、天ぷら屋、自然食品店、スタンド型軽食喫茶、イートインスペース、酒屋)
「まるいいとう百貨店」を扱った作品
その他の店舗・営業所
小売店
卸部営業所
北見営業所 - 北海道北見市とん田東町
網走出張所 - 北海道網走市
釧路出張所 - 北海道釧路市
遠軽出張所 - 北海道遠軽町
金物部営業所
子会社
新興食品工業株式会社
北見醸造株式会社
北見機材工業株式会社
丸いシネマ映画館株式会社
丸い食堂株式会社
脚注・出典
1966年 (昭和41年)以前は『丸い伊藤商店五十年史』丸い伊藤商店、1966年3月15日。 を参照。
関連項目
丸い会 - 旧まるいいとう百貨店の元従業員による親睦会。会員の高齢化により、2024年(令和6年)を最後に解散予定。
丸三鶴屋野付牛店 - まるいいとう百貨店と同じく、丸井今井より暖簾分けされた(釧路市発祥の)百貨店の北見店。戦前、まるいいとう百貨店やビルディング百貨店と同じく中央通り沿いに立地していた。
外部リンク