中部地方での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 16:01 UTC 版)
1927年5月30日、桜木は三河水力電気の代表取締役に選出され、専務に就任した(社長は神野金之助)。同社は1924年(大正13年)に設立された東邦電力の傍系会社で、愛知県を流れる矢作川での電源開発を目的とする。桜木の着任後、三河水力電気では1927年10月に矢作川・越戸発電所(出力7,500キロワット)を着工、1929年(昭和4年)に完成させる。その間の1928年(昭和3年)には愛知県東部の新城方面に供給する東三電気を合併して一般供給事業を獲得した。三河水力電気は堅実経営の会社として知られ、不況期にあっても堅調な業績を保った。 1931年(昭和6年)12月28日、伊原五郎兵衛に代わり伊那電気鉄道の専務取締役に就任した。同社は長野県南信地方にて電気鉄道事業と電気供給事業を営む会社で、1907年(明治40年)に設立。桜木が着任した当時は伊原の積極経営が不況で行き詰まり深刻な経営難に陥っていた。経営陣の一部が東邦電力に対し救済を求めたところ、東邦電力社長松永安左エ門の意向で三河水力電気での実績がある桜木がその整理にあたることになり、専務就任の運びとなったのである。また前専務の伊原が桜木の大学時代からの友人であるという事情もあった。着任後の桜木は同社の整理にあたり、1935年(昭和10年)上期には配当再開に漕ぎつけている。この間の1933年(昭和8年)12月23日、空席であった伊那電気鉄道社長(4代目)に就任した。 1933年4月28日、合同電気の取締役に選出され、専務に就任した。同社も東邦電力傘下の電力会社で、三重県を中心に関西・四国地方にも供給区域を持つ。ただし4年後の1937年(昭和12年)3月親会社東邦電力に吸収された。また1933年10月、辞任した伊原五郎兵衛に代わって矢作水力の取締役にも就任した。 1936年(昭和11年)5月22日、三河水力電気でも社長に昇格する。次いで1938年(昭和13年)8月1日、三河水力電気に長野県の南信電気、開発会社の中央水力を加えた3社合併で中央電力が発足すると、桜木はその会長に就任した。
※この「中部地方での活動」の解説は、「桜木亮三」の解説の一部です。
「中部地方での活動」を含む「桜木亮三」の記事については、「桜木亮三」の概要を参照ください。
- 中部地方での活動のページへのリンク