中欧版ベネルクス構想、王党派による同君連合構想とは? わかりやすく解説

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中欧版ベネルクス構想、王党派による同君連合構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:57 UTC 版)

ドナウ連邦構想」の記事における「中欧版ベネルクス構想、王党派による同君連合構想」の解説

戦後オーストリア第一共和国初代首相務めたカール・レンナーオーストリア再建したレンナードナウ連邦論者として知られていたが、構想実現しなかった。ハンガリーチェコスロバキア次々と共産主義国家となっていき、冷戦時代突入したのであるヨーロッパ鉄のカーテンによって西欧東欧二つ分断され、「中欧」という地域区分は意味をなさなくなった。 しかし冷戦終結後1990年代になって中欧という概念急速に復活した1991年2月15日にポーランド・チェコスロバキア・ハンガリーの旧「東欧三国ヴィシェグラード・グループ結成したことは中欧地域結合計画萌芽といえたが、チェコスロバキアビロード離婚によってこの試み中断された。そもそも中欧諸国には、中欧という地域レベルでの結合よりもヨーロッパ共同体への参加への関心のほうがより強くあり、2016年現在ではすべての中欧諸国ヨーロッパ連合への加入果たしている。 現在においてはハプスブルク家のもとで培われた600年上の共通の歴史背景として、中欧諸国集合体組織してEUにおいてより大きな存在感発揮しようとする主張根強くあり、オーストリア首相当時)のヴォルフガング・シュッセルが「中欧ベネルクス」を作って英独仏などのEU大国対抗しよう提唱したこともある。構想仕掛人であるオーストリア政界関係者は「いずれチェコなども拡大EUの中で小国悲哀知り中欧諸国大同団結必要性わかってくれるだろう」と語ったが、いまだ具体的な形はなっていない。 また、オーストリアシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツチェコチェコ・コルナなど、ハプスブルク家を共通の君主として戴く同君連合樹立しようという王党派政党いくつかある。2017年現在、これらの政党はいずれ弱小政党とどまっている。しかし、度重なるEU難民政策国内問題多発中央銀行抑えたドイツ中心経済政策によりEU参加国不利益被り発言権が低い中欧新連邦思想生まれたカール・フォン・ハプスブルク中心に騎士団復活し中欧各国要人入団し新たな連邦結成向けた動き始まっている。また、各国国内でも連邦結成動き見え始めている。

※この「中欧版ベネルクス構想、王党派による同君連合構想」の解説は、「ドナウ連邦構想」の解説の一部です。
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