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上野慧賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 09:13 UTC 版)

上野 慧賢(あがの えけん、1896年6月3日 - 1981年6月2日)は、日本の教育者駒澤大学高等学校名誉校長学校法人駒澤大学理事東京私立中学高等学校協会監事などを歴任。熊本県出身。

来歴

八代市生まれ。1917年熊本県第一師範学校本科卒業。葦北郡日奈久尋常高等小学校訓導1920年津奈木尋常高等小学校。1923年広島高等師範学校教育科卒業。熊本県阿蘇高等女学校教諭1924年9月、熊本県第58番極楽寺林の慧禅について得度1926年4月、東京帝国大学伝染病研究所看護婦養成所(のち東京大学第三厚生女学部)嘱託講師を兼任(1951年3月迄)。1927年3月、駒澤大学卒業。同年4月、日出高等女学校教諭。

1932年4月、駒澤大学学生監補。1942年7月、駒澤大学学生監。1946年3月、駒澤大学庶務課長。同年8月、東京都第21番福昌寺住職中根環堂の室に入り伝法した。1950年8月、駒澤大学高校教諭(教務主任)。1952年4月、東京私立中学高等学校協会常任委員。1954年1月、東京都青少年問題協議会専門委員。同年4月、日本私立中学高等学校連合会評議員。1956年4月、世田谷区青少年問題協議会委員。1957年4月、駒澤大学高校教頭。同年6月、東京私立中学高等学校協会第11支部支部長。1959年4月、駒澤大学高校副校長

1960年4月、渋谷・新宿・世田谷地区学徒補導協会会長。同年6月、東京私立中学高等学校協会生活指導研究部会会長。同年10月、駒澤大学高校校長ならびに学校法人駒澤大学理事・評議員に就任。1965年曹洞宗正教師。1966年、東京私立中学高等学校協会文化部長、日本私学教育研究所運営委員会委員・道徳教育研究専門委員長1968年、東京私立中学高等学校協会監事および第8支部顧問。

1972年11月、勲四等瑞宝章を受章(教育界に対する功績により)。1975年、世田谷区体育連盟参与、世田谷区バレーボール連盟会長。1976年、論文集『永遠の反省』を著す。1978年11月、病のため退職し入院。学校法人駒澤大学より名誉校長の称号を受ける[1]

1981年6月2日午前9時45分、国立東京第二病院にて死去、84歳。6月20日、学校葬が営まれた[2]

著書

  • 『永遠の反省』駒澤大学高等学校同窓会 1976.6[3]

関連項目

出典

  1. ^ 同窓新報「上野校長叙勲さる」”. 駒大高校同窓会 (1973年3月1日). 2024年3月21日閲覧。
  2. ^ 同窓新報「上野慧賢先生逝く」”. 駒大高校同窓会 (1981年9月20日). 2024年3月16日閲覧。
  3. ^ 『永遠の反省』1976.6”. 国立国会図書館. 2024年3月16日閲覧。

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