上流社会の寵児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:35 UTC 版)
「ジョゼフ・メリック」の記事における「上流社会の寵児」の解説
カー・ゴムの投稿掲載以降、メリックの存在は上流階級の人々の関心を惹くところとなり、メリックへの面会希望が相次いで寄せられるようになった。彼らは骨董品や絵画、自分たちのサイン入りの写真などといったプレゼントを持参していたが、読書家であったメリックは特に本を贈られることを喜んだといわれる。メリックに関わった著名人の一人には、生涯を通じて慈善活動に積極的だった高名な女優、マッジ・ケンドールもいた。彼女は俳優だった夫を通じてメリックの存在を知り、当時はまだ発明されて日の浅い蓄音機を贈ったり、メリックの希望に応じてかご細工の教師を彼のもとに派遣するなどした。メリックもこうしたケンドールの厚意に応えて最初のかご細工の作品や、看護婦たちの手助けも得て作り上げたボール紙製のマインツ大聖堂の模型を彼女に贈っている。 1887年5月には当時のイギリス皇太子・エドワード(のちのエドワード7世)と、その妃・アレグザンドラがホワイト・チャペルにあるロンドン病院付属医科大学の新館、看護婦寮の落成式に出席した際、メリックの部屋を訪問した。この年のクリスマスにはドルリー・レーン劇場でパントマイム劇「長靴を履いた猫」を観劇したともいわれる。この折にはケンドールの助力により、バーデット・クーツ男爵夫人所有の特別席を使用した。また1889年夏にはナイトレー夫人の厚意によりノーザンプトン近郊のフォースリー・パークに6週間滞在、田舎暮らしを経験した。またこのころ次第に宗教への関心を深め、ロンドン病院付きの牧師トリストラム・ヴァレンタインの影響によりイギリス国教会の教義に親しみ、やがてウィリアム・ウォルシャム・ハウの司式による堅信礼が行われ、同教会に改宗した。
※この「上流社会の寵児」の解説は、「ジョゼフ・メリック」の解説の一部です。
「上流社会の寵児」を含む「ジョゼフ・メリック」の記事については、「ジョゼフ・メリック」の概要を参照ください。
- 上流社会の寵児のページへのリンク