三菱鉱業→三菱鉱業セメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:27 UTC 版)
「三菱マテリアル」の記事における「三菱鉱業→三菱鉱業セメント」の解説
三菱合資会社の炭鉱部、鉱山部、研究所が独立し1918年(大正7年)4月に設立された。本業の高島炭鉱・大夕張炭鉱などの炭鉱経営、生野銀山などの金属鉱業の他に採掘した石炭を輸送するために地方鉄道事業も行っていた。雄別炭礦鉄道は傍系会社であった。 1871年(明治4年)5月 - 九十九商会(三菱商会の前身)が紀州新宮藩の炭鉱を租借し、鉱業事業を開始。 1873年(明治6年)12月 - 三菱商会が吉岡鉱山を買収、金属鉱山の経営を開始。 1893年(明治26年)12月 - 三菱合資会社設立。 1896年(明治29年) - 金属精錬事業に進出。1891年に大阪に設立された宮内庁御料局生野支庁付属大阪精錬所の払下げを受けた。 1917年(大正6年)10月 - 直島製錬所操業開始。 1918年(大正7年)4月10日 - 三菱鉱業株式会社設立、三菱合資会社より鉱業事業を継承。 1937年(昭和12年)7月12日 - 勝田鉱業所開設。 1939年(昭和14年)4月20日 - 大夕張鉄道線開通により、地方鉄道事業開始。 1945年(昭和20年)4月 - 非鉄金属工業所(現・桶川製作所)操業開始。 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所に上場。 1950年(昭和25年)4月 - 金属部門を分離、太平鉱業株式会社を設立。 4月25日 - 美唄鉄道を合併、美唄鉄道事務所を設置。 1963年(昭和38年)6月26日 - 勝田鉱業所閉山。 1969年(昭和44年)10月1日 - 三菱大夕張炭礦株式会社・三菱高島炭礦株式会社を設立、両者に日本国内の炭鉱を、前者に大夕張鉄道線を譲渡。 1972年(昭和47年)6月1日 - 美唄鉄道線廃止、地方鉄道事業から撤退。 1973年(昭和48年)4月 - 三菱セメントおよび豊国セメントと合併し、三菱鉱業セメント株式会社に社名変更。 1981年(昭和56年)4月1日 - 美唄鉄道事務所を分離し美鉄バスを設立。
※この「三菱鉱業→三菱鉱業セメント」の解説は、「三菱マテリアル」の解説の一部です。
「三菱鉱業→三菱鉱業セメント」を含む「三菱マテリアル」の記事については、「三菱マテリアル」の概要を参照ください。
- 三菱鉱業→三菱鉱業セメントのページへのリンク