三島忌やまだうら若き洗面器
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評 言 |
森鷗外崇拝の空気の中で育ったという天才作家にふさわしいのは白々とした琺瑯の洗面器。これに真水を満たしてもよい。或いはそこに一滴の血潮をしたたらせても…。 三島由紀夫、本名平岡公威。昭和元年に満1歳、割腹自殺は45歳。「限りある命ならば永遠に生きたい」とメモに遺した。 1970(昭和45)年11月25日、私は朝日新聞の夕刊に茫と浮かんだ頭部の写真を見て、巷の噂が偽りではなかったと知った。 島内景二は、その衝撃を、人々に自分たちの生きている平凡な日常生活を「つまらないもの」と思わせて、それはマジシャン三島が放った渾身の「呪縛」なのだ(『三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ』)というが、私自身、前年の父の死で抱えこんだ鬱の気が消し飛んだ。 昨年の大晦日に放映されたBSTBSの瀬戸内寂聴とドナルド・キーンの対談で、日本初のノーベル文学賞の受賞を逸したことが三島の自決に繋がったとする説が紹介された。自決の前月に刊行された『作家論』の谷崎潤一郎篇に記された認識、「肉体的な老いが、彼の思想と感性のすべてに逆らうような作家はいたましい。(私は自分のことを考えるとゾッとする)」に立ってみれば、さもありなんとも思える。 更に同書で三島は森鷗外を、「どんな時代になろうと、文学が、気品乃至品格という点から評価されるべきなら、鷗外はおそらく近代一の気品の高い芸術家」と評し、現在の身のまわりの粗雑さ無神経さに対して、若い世代が「いつかは愛想を尽かし、見るのもイヤになる時が来る」と述べる。 作家というものに、「生い立ちと教養に対するわがままな執着の、大胆な社会化」を見ていた三島にとって、所謂三島事件は、作家自らの大胆な社会化であったとも言えよう。 そうした文学的ないきさつとは別に、遺書と遺髪、遺爪を置いて入営し、しかし生き残ってしまったうら若き戦時体験が、命に真剣に向き合うほどに、人間平岡公威の胸中で重味を増したであろうことも忘れずにおきたい。 |
評 者 |
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備 考 |
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