三十万人以上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:03 UTC 版)
1947年の南京軍事法廷の判決で中国側(国民政府)が生存者や目撃者の証言による揚子江に遺体を流された沿岸での殺害者数や提出された埋葬の報告史料の遺体数を積み上げる形で算出されたもので、主に中国側論者の見解とされる。日本側では1968年に家永三郎が「数十万」としたものの、現在は日本側の学者からは支持されていないと主張されることも多い。ただし、洞富雄は20万人を下らないとし、東京裁判の判決も20万人以上としており、これらは30万人以上となる可能性を排除したものではない。藤原彰も洞の説を支持し、中国の一部から出て来た40万人もあり得ないことではないとしている。加藤陽子は山川出版社の高校教科書で「犠牲者数については、数万人〜40万人に及ぶ説がある」と書いている。 1947年の南京戦犯裁判軍事法廷で30万人以上とされ、中国の見解はこの判決に依拠している。代表的な論者は、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)、アイリス・チャン(ジャーナリスト)などがおり、中国共産党政府、南京大虐殺紀念館、また中華民国の国軍歴史文物館も同様の見解をもっている。 中国国民党は1948年判決の東京裁判で30万人を主張した。『蔣介石秘録』には30万〜40万と記された。 また、孫宅巍によれば、30万説には南京城外の六県その他の地域の犠牲者数を入れていないので、今後これらも考慮して研究すると述べた。 東京裁判で、連合国側が犠牲者を30万人以上としたのは、広島・長崎における原爆での民間人犠牲者が多かったために、国際世論からの批判をそらすためにそれを確実に超える必要があったという説もある。
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