広田弘毅外相の電報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:12 UTC 版)
当時の日本外務省や広田外相の対応については「南京事件#日本政府の反応」を参照 1994年にアメリカ公文書館によって解禁された資料のなかに1938年1月17日付の外務省から在ワシントン日本大使館宛に南京視察後の広田弘毅外相が発信した暗号電報が発見され、「日本軍部隊はフン族のアッティラ王を思い出させるように振る舞った。三十万人以上の中国市民が殺害され、多くは冷酷な死を遂げた」との内容が記録されており、以降中国は虐殺の証拠として「広田電」を宣伝している。アイリス・チャンも、この広田電報が30万虐殺の動かしがたい証拠であると主張した。 しかし、広田外相は当時日本国内におり外務省に送られた南京事件の資料を見聞しただけで、南京視察は行っていない。また、ジョージ・ワシントン大学のダキン・ヤンはこの電報は広田弘毅ではなく、記者ティンパリーが書いたニュースであると指摘している。諸君!編集部はこの電報とされる文書はティンパーリー記事を現地の日本当局が検閲・押収したもので、「アッチラ大王」や「フン族」などの言及からも日本人らしからぬ発想であると指摘している。
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