三十三年式と臨時仮名遣調査委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 10:10 UTC 版)
「現代仮名遣い」の記事における「三十三年式と臨時仮名遣調査委員会」の解説
ここでは明治・大正における歴史的仮名遣と表音的仮名遣の流れを記述する。 1900年(明治33年)「小學校令施行規則」で、漢語は表音式、和語は歴史的仮名遣の手法を採用した。ここでは、これを指して「三十三年式」と呼ぶ。これに対して異論や反対が多く、従来通り歴史的仮名遣と字音仮名遣を引き続き教育で用いることとした。 この紛糾を受けて、1906年(明治41年)に文部省は臨時仮名遣調査委員会を設けた。臨時仮名遣調査委員会では森鷗外の假名遣意見など歴史的仮名遣を支持する論や、大槻文彦・芳賀矢一など表音的仮名遣を支持する論があった。この時の経緯は山田孝雄が「森林太郎博士苦心の事」で、森鷗外の假名遣意見を挙げ、「文部省をして議案を撤囘せしむるの止を得ざるに到らしめるものなり」と述べている。帝国議会の反対もあり、臨時仮名遣調査委員会は廃止された。
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