三区祭礼山車
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矢作村弥五騰社の祭礼山車(西中の切)は1839年頃(天保10年)頃に建造された。三区の山車も同じく大山庄八の作である。戦争末期、戦災から守るため、分解した飾りを額田郡豊富村(現・岡崎市桜井寺町)の桜井寺に疎開させた。しかし公会堂に置いていた胴柄と車輪は岡崎空襲で焼けてしまう。幸い飾りは無事であったことから、戦後、寄進により胴柄と車輪を新造した。 「楠木正成親子の別れ」「竹虎」「獅子の谷落し」「飛竜力神」などの彫刻は瀬川治助(重定か重光)父子の手による。 1968年(昭和43年)2月8日、岡崎市の有形民俗文化財に指定された。 2017年(平成29年)、名古屋の市の職人に屋根の修復を依頼し、2018年(平成30年)夏に完成した。同年10月6日の秋の大祭でお披露目が行われた。
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