ヴァナキュラー研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 17:17 UTC 版)
「ヴァナキュラー文化」の記事における「ヴァナキュラー研究」の解説
ヴァナキュラーというコンセプトそのものには、人類が十九世紀から歩んできた統一的な国家主義に対する批判と脱構築の力が内在している。だからこそヴァナキュラーな文化要素は中心に収斂され圧迫されてきた。言葉を統一化し管理しようとした沖縄県の方言札や寄宿舎学校制度などは、国家主義にとって必要な政策であった。日本の研究者菅豊はこう述べている。 少々乱暴にいうならば、ヴァナキュラーという語には、文字に対する口頭、普遍に対する土着、中央に対する地方、権力に対する反権力、権威に対する反権威、正統に対する異端、オフィシャルに対するアンオフィシャル、フォーマルに対するインフォーマル、ハイに対するロー、パブリック(公)に対するプライベート(私)、プロフェッショナルに対するアマチュア、エリートに対する非エリート、マジョリティに対するマイノリティ、不特定多数に対する集団、集団に対する個人、高踏に対する世俗、市場に対する反市場、非日常に対する日常、仕事に対する趣味、他律に対する自律、意識に対する無意識、洗練に対する野卑、教育に対する独学、テクノロジーに対する手仕事などなど、実に多様な含意を込めることが可能である。もちろん、このような単純な二項対立ではっきりと腑分けできるものではなく、実際はその対立の境界が溶融しているところでアクティブに蠢いている語ととらえるべきであろう。そのため、未だにvernacularという語に対する日本語での定訳はない。私があえてその語を翻訳するならば、「野」に「生きる」という意味での「野生」、あるいは「野性」と訳すであろう。 ポスト・コロニアリズムやフェミニズムなど、現代的ではあるがなかなか定着しない知識形態は日本に多い。ヴァナキュラーをどう日本語で定義づけることができるのか、ヴァナキュラー研究がどのように日本で受容され研究されていくのか、これからの課題である。
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