ロリコンブーム到来とは? わかりやすく解説

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ロリコンブーム到来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:29 UTC 版)

青山正明」の記事における「ロリコンブーム到来」の解説

1981年10月、『突然変異2号掲載の「六年四組学級新聞」を見た高取英紹介白夜書房男性向け総合月刊誌ヘイ!バディー』の高桑常寿編集長 から原稿依頼があり、同誌12月号の特集少女時代」にロリータ記事HOW TO LOLITA」を寄稿、これが商業誌デビューとなる。 同誌1982年2月号からは『突然変異編集部谷地淳平と共同で「6年4組学級新聞」の連載始める。連載中に同誌もロリータ総合情報誌に路線変更し、ロリコンブーム主翼を担うことになる。この連載1982年9月号まで続き10月号からは「Flesh Paper」(肉新聞)に改題する。内容ロリータから大きく外れドラッグフリークスカルトムービー紹介など青山独自の路線となった。また本誌以外にも『ロリコン大全集』『ぺぴ』『VIDEOロリータ』『ロリータスナイパー』『ロリータスクランブル』『にんふらばあ』『なおこちゃん』など各ロリコン誌で執筆活動を行う。 1982年8月発売され日本初ロリータビデオ『あゆみ11歳 小さな誘惑』ではヒロイン懸想する青年役として出演する青山によると、3万円という高額なビデオにも関わらず4000本が即完売したという。 大学卒業後は自然食品メーカーソフトウェア会社プログラマーとして働くなど転々とするが、1984年11月よりフリーライターとして独立するその後スーパー変態マガジンBilly』(白夜書房)や『にんふらばあ』(麻布書店)などに原稿書きながら、1985年創刊スカトロエロ雑誌『フィリアック』(求龍社)で編集長務めたほか、『スカトピア』『スカトロスペシャル』『コプロラビア』『フィーメール』『MASPET』など各スカトロ誌でも執筆活動を行う。 しかし、主な活躍の場であったヘイ!バディー』が1985年11月をもって廃刊となり、青山もロリコンライターを事実上廃業する。なお『ヘイ!バディー廃刊原因増刊ロリコンランド8』に掲載され少女無修正ワレメ写真わいせつ物判断され発禁回収処分となり、性器の露出許されなくなった為である。1987年には児童エロチカ最後の砦であった少女ヌード写真集プチトマト42』が警視庁から摘発され発禁となり、第1次ロリコンブーム終焉迎えた

※この「ロリコンブーム到来」の解説は、「青山正明」の解説の一部です。
「ロリコンブーム到来」を含む「青山正明」の記事については、「青山正明」の概要を参照ください。

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