ロリコン・ブームの到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 16:14 UTC 版)
「ロリコン漫画」の記事における「ロリコン・ブームの到来」の解説
詳細は「シベール (同人誌)」、「ロリータ・コンプレックス#ロリコン・ブーム」、および「エロ劇画誌#流れの変化」を参照 三流劇画ブームがピークを迎えた1979年4月、吾妻ひでおや蛭児神建らによる日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)がコミックマーケット11でひそかに頒布された。これを知ったアリス出版の川本耕次は商業誌初となるロリコン漫画の連載を吾妻に依頼する。こうして吾妻は『純文学シリーズ』と後に呼ばれることになる一連の作品を自販機本『少女アリス』1979年12月増刊号から1980年8月号(通巻15号)まで連載した。この連載は川本の退職により打ち切られたが、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』の題で単行本化され、ロリコン漫画初期の傑作となった。のちに吾妻は「新宿の大きい本屋で『陽射し』のサイン会したら、えらい列ができちゃって。夜までかかってサインを描いていた。本屋が閉まっちゃって、そのあとは倉庫で書いてた。『ふたりと5人』の時もサイン会をやったことあるけど、その時は3人くらいだったよ(笑)」と回想するなど、当時の吾妻ブームを象徴する記念碑的一冊となっている。 一方で『シベール』もまた初期のコミケでブームを呼ぶも早期に終刊したが、エロマンガ界ならびにコミックマーケットに与えた影響は計り知れず、これを嚆矢として1981年夏のコミケット18ではロリコン同人誌が氾濫するに至り、その後のロリコンブームの直接的な起爆剤となった。志水一夫はロリコン漫画同人誌ブーム到来と共に本誌が突然廃刊したことで、欲求不満になった有志が次々にロリコン同人誌を出しはじめたと言い「盛り上がったところで消滅しちゃったもんだから、どんなモノでも売れた」と述懐している。
※この「ロリコン・ブームの到来」の解説は、「ロリコン漫画」の解説の一部です。
「ロリコン・ブームの到来」を含む「ロリコン漫画」の記事については、「ロリコン漫画」の概要を参照ください。
- ロリコン・ブームの到来のページへのリンク