ロビン・トロワー・バンド
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「ロビン・トロワー」の記事における「ロビン・トロワー・バンド」の解説
(註:ロビン・トロワー・バンドはトロワーのソロ・プロジェクトの通称であり、アルバム名義は「ロビン・トロワー」である) 1973年2月、トロワーらは最初のライヴをウィーンで行い、続いて3月にデビューアルバム『ロビン・トロワー』をリリース。このアルバムはセールス的にふるわなかった(全米チャート106位)ものの、翌'74年にリリースされたセカンドアルバム『魂のギター』がアメリカで大ヒットし(全米チャート7位、ゴールド・ディスク獲得)、更に米ギター・マガジン誌において、'74年度ベスト・ギター・アルバムに選ばれるなど、アメリカで高い人気を得る。トロワーは、このアルバムの成功は、レコーディングエンジニア、ジェフ・エメリック(ビートルズのレコーディングエンジニアとして有名)の功績が大きかったと述べている(ジェフ・エメリック#ビートルズ以降も参照)。 1975年、ドラムを元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのビル・ローダンに替え、『遥かなる大地』をリリース。アメリカでの人気(全米チャート5位、ゴールド・ディスク獲得)のみならず、本国イギリスでもチャートイン。日本での評判も高まり、トロワーのギタリストとしての評価は固まる。以上、3枚のアルバムは、元プロコル・ハルムのマシュー・フィッシャーがプロデュースした。更に1976年、'75年のヨーロッパツアーにおけるストックホルムでのライヴ盤『ロビン・トロワー・ライヴ!』により、人気・評価ともに絶頂期をむかえ、つづく全米ツアーは史上最大のP.A.システムを使うという大がかりなものとなった。 1976年9月にリリースされた『ロング・ミスティ・デイズ』は、サウンドがポップ寄りに変化し、トロワーにとって唯一とも言えるシングルヒット「カレドニア」(全米シングルチャート82位)を出す。その後、元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベース、ラスティ・アレンを加え、ジェイムズ・デュワーはボーカルのみという編成でツアーを行い、1977年1月には初来日する。4人編成となったバンドは、ボビー・ウーマックらソウルアーティストを手がけていたドン・ディヴィスをプロデューサーに迎え、1977年『白昼の幻想』、1978年『キャラバン・トゥ・ミッドナイト』と、より米国マーケットを狙ったアルバムをリリースする。トロワーは後に「ジミの影響から逃れようとしていた」とも述べている。ラスティ・アレンが脱退し、トリオ編成に戻ったバンドは、1979年、原点回帰的な『地獄脱出』をリリースするがセールスは伸びず、翌'80年5月、トロワーは7年間にわたった、ほぼ同一メンバーによるソロ・プロジェクトを終了する。
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