ロビン・トロワー・バンドとは? わかりやすく解説

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ロビン・トロワー・バンド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 04:11 UTC 版)

ロビン・トロワー」の記事における「ロビン・トロワー・バンド」の解説

(註:ロビン・トロワー・バンドはトロワーのソロ・プロジェクト通称であり、アルバム名義は「ロビン・トロワー」である) 1973年2月、トロワーらは最初ライヴウィーン行い続いて3月デビューアルバムロビン・トロワー』をリリース。このアルバムセールス的にふるわなかった(全米チャート106位)ものの、翌'74年リリースされセカンドアルバム『魂のギター』がアメリカで大ヒットし(全米チャート7位、ゴールド・ディスク獲得)、更に米ギター・マガジン誌において、'74年度ベスト・ギター・アルバムに選ばれるなど、アメリカで高い人気を得る。トロワーは、このアルバムの成功は、レコーディングエンジニアジェフ・エメリックビートルズレコーディングエンジニアとして有名)の功績大きかった述べている(ジェフ・エメリック#ビートルズ以降参照)。 1975年ドラムを元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのビル・ローダンに替え、『遥かなる大地』をリリースアメリカでの人気全米チャート5位、ゴールド・ディスク獲得のみならず本国イギリスでもチャートイン日本での評判高まり、トロワーのギタリストとして評価は固まる。以上、3枚アルバムは、元プロコル・ハルムマシュー・フィッシャープロデュースした。更に1976年、'75年ヨーロッパツアーにおけるストックホルムでのライヴ盤『ロビン・トロワー・ライヴ!』により、人気・評価ともに絶頂期をむかえ、つづく全米ツアー史上最大P.A.システムを使うという大がかりなものとなった1976年9月リリースされた『ロング・ミスティ・デイズ』は、サウンドポップ寄り変化し、トロワーにとって唯一とも言えるシングルヒットカレドニア」(全米シングルチャート82位)を出す。その後、元スライ&ザ・ファミリー・ストーンベース、ラスティ・アレンを加えジェイムズ・デュワーボーカルのみという編成ツアー行い1977年1月には初来日する。4人編成となったバンドは、ボビー・ウーマックらソウルアーティストを手がけていたドン・ディヴィスをプロデューサー迎え1977年白昼の幻想』、1978年『キャラバン・トゥ・ミッドナイト』と、より米国マーケット狙ったアルバムリリースする。トロワーは後に「ジミ影響から逃れようとしていた」とも述べている。ラスティ・アレンが脱退しトリオ編成戻ったバンドは、1979年原点回帰的な『地獄脱出』をリリースするセールス伸びず、翌'80年5月、トロワーは7年間にわたった、ほぼ同一メンバーによるソロ・プロジェクト終了する

※この「ロビン・トロワー・バンド」の解説は、「ロビン・トロワー」の解説の一部です。
「ロビン・トロワー・バンド」を含む「ロビン・トロワー」の記事については、「ロビン・トロワー」の概要を参照ください。

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