ルーズベルトの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 23:34 UTC 版)
「ファラ (犬)」の記事における「ルーズベルトの死後」の解説
ルーズベルトは1945年4月12日に大統領在職中のまま、ジョージア州のウォーム・スプリングで死去した。ルーズベルトが息を引き取った数分後、ファラが奇妙な行動をとったといわれている。ルーズベルトの伝記作家ジム・ビショップがこの出来事について書き残している。「噛みつく音や唸り声、吠え立てる声が聞こえた。それまでファラは部屋の隅で眠っていたために、ファラに注意を払っている人は誰もいなかった。理由は分からないが、ファラは網戸に向かって駆け出して、黒い頭を激しく網戸にぶつけだした。網戸が破れるとファラはその破れ目から抜け出して外へ出ると、吠えながら坂を上りだした。シークレットサービスが、丘の上に粛然と佇んでいるファラを目撃している。昔からの疑問が残る。『犬は(飼い主の死を)本当に理解しているのだろうか』」 ファラはルーズベルトの葬式にも参列し:615、未亡人となったエレノアと共にルーズベルトの実家から2マイル東にあるヴァル=キル (en:Eleanor Roosevelt National Historic Site) で暮らし始めた:620。エレノアはファラとの生活に大きな慰めを見出し、切り離すことができない関係を築いていった:620。当時のエレノアが執筆していた新聞コラム「私の日常」にはファラが良く登場しており、エレノアの自叙伝にもファラのことが書かれている。 私の夫が飼っていた小さな犬ファラは、本当にかけがえのない存在でした。1945年にアイゼンハワー将軍がフランクリン(ルーズベルト)の墓前に花輪を供えに来たことがあります。(車道から私が住んでいる家に通じる)私道の門は開かれていて、物悲しいサイレンを鳴らしつつ先導する警察車両が、彼(アイゼンハワー)が乗る車と共に我が家に近づいてきました。そのサイレンを耳にしたとたん、ファラは立ち上がって耳を立てました。過去に何度もそうやって帰宅してきた主人(ルーズベルト)が帰ってきたのだと、彼(ファラ)が喜んだことが私には分かったのです。その後、ファラはコテージの食堂の扉付近にいつも寝そべるようになりました。そこは複数の出入り口が同時に見渡せる場所であり、主人が存命だったときにはいつもファラがいた場所でもあります。フランクリンは突然どこかへ出かけることがよくあり、ファラも出入り口を見張ってこのような急な外出について行こうと待ち構えていたのです。夫の亡き後、ファラは私のことを受け入れてくれました。それでもファラにとってみれば、主人が戻ってくるまでのただの間に合わせに過ぎなかったのでしょう:287–288。 1945年11月に、ファラはハイドパークのルーズベルト一家の邸宅で、息子エリオット・ルーズベルトの飼い犬だった体重60kg超のブルマスティフのブレイズに襲われて数週間入院している。このときファラはマーガレット・サッカレーと共にハイドパークを訪れていた。リードに繋がれていたファラにブレイズがとびかかり、ファラの背中と右目を引き裂いた。誰かがブレイズを石で殴りつけて引き離し、ショック状態のファラを助け出した。その後ブレイズは、再び襲いかかる可能性があるとして安楽死させられている。 難聴と体調不良に苦しんでいたファラに、1952年4月5日に安楽死の処置がなされた。この日はファラが12歳を迎える誕生日の二日前のことだった。ファラはスプリングウッドのルーズベルトの墓のすぐそばにあるバラ園に埋葬された。
※この「ルーズベルトの死後」の解説は、「ファラ (犬)」の解説の一部です。
「ルーズベルトの死後」を含む「ファラ (犬)」の記事については、「ファラ (犬)」の概要を参照ください。
- ルーズベルトの死後のページへのリンク