ルーズベルトの大統領昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 22:25 UTC 版)
「マッキンリー大統領暗殺事件」の記事における「ルーズベルトの大統領昇格」の解説
「1901年セオドア・ルーズベルト大統領就任式」も参照 9月12日、セオドア・ルーズベルトとその家族は標高3,500フィート (1,070 m)のマーシー山に所有する山小屋に着いた。翌朝は冷たい霧の日であり、ルーズベルトはその友人や公園保護官等に伴われて山の頂上を目指し、小屋を出発した。13日の正午までに、副大統領とその1隊は頂上の平たい岩の上で休憩し、山脈のパノラマを楽しんでいた。彼等は湖の側で昼食を摂るために500フィート (150 m)ほど下に降りた。午後1時半に1人の公園保護官が走って到着し、1通の電報をもたらした。ルーズベルトはその伝令の姿を見た時に何が起こったかを理解し、後に「私は本能的に彼が悪い報せを持ってきたことが分かった。...私は大統領になりたかったが、そのようなやり方で大統領になりたいとは思わなかった。」と語った。 電報は彼の恐れていたことを裏づけ、マッキンリーの容態が悪い方向に急変したことを報せていた。山小屋に戻ると、陸軍長官のエリフ・ルートからの不吉な電報を受け取った。 大統領は死に行くものと思われ、バッファローにいる閣僚は貴方が一刻も早く来るべきと考えている。 夜半少し前に、ルーズベルトは家族と別れて馬車でマーシー山を下った。その行程は昼でも7時間は掛かるところだった。午前3時半に馬車を乗り換え、暗闇の中を高速で長く曲がりくねった山道を下って行った。2時間後、やっとノースクリークの鉄道駅に着いたのが14日の午前5時22分であり、そこで国務長官ジョン・ヘイからの電報を受け取った。 大統領は今朝2時15分に死去した。 ルーズベルトは続いて列車に乗った。この列車はオールバニで短時間停まり、バッファローには午後1時半に着いた。そこで友人のアンスリー・ウィルコックスに会い、バッファローにあるウィルコックスの家に向かった。マッキンリーの遺体が横たわるミルバーンの家からは1マイル (1.6 km)離れていた。ルーズベルトは埃を払い、ミルバーンの家を弔問に訪れた。そこでルート、コーテルユーおよびそこに居た閣僚の残り大半に会ったが、大統領の遺体は検死解剖が行われていたので会えなかった。ルートがそこで儀式を行うことを推奨したが、ルーズベルトは「不適切」と考え、就任宣誓の儀式を行うためにウィルコックスの家に戻ることにした。ルーズベルトは午後3時半に第26代アメリカ合衆国大統領に就任する宣誓を行った。ルーズベルトは43回目の誕生日から6週間過ぎたばかりであり、現在でも大統領職に就いた者の中で最も若い者となっている。
※この「ルーズベルトの大統領昇格」の解説は、「マッキンリー大統領暗殺事件」の解説の一部です。
「ルーズベルトの大統領昇格」を含む「マッキンリー大統領暗殺事件」の記事については、「マッキンリー大統領暗殺事件」の概要を参照ください。
- ルーズベルトの大統領昇格のページへのリンク