ルブラン‐ほう〔‐ハフ〕【ルブラン法】
ルブラン法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 22:24 UTC 版)
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種類 | 化学 |
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産業部門 | クロール・アルカリ産業 |
供給原料 | 塩化ナトリウム、硫酸、石炭、炭酸カルシウム |
製品 | 炭酸ナトリウム、塩酸、硫化カルシウム、二酸化炭素 |
発明者 | ニコラ・ルブラン |
発明時期 | 1791年 |
開発者 | ウィリアム・ロッシュ、ジェームズ・マスプラット、チャールズ・テナント |
ルブラン法(ルブランほう)とは、18世紀末に初めて確立された炭酸ナトリウムの工業的製造法。19世紀の中頃までの間、盛んに用いられた方法である。フランスの化学者ニコラ・ルブランが考案したのでこの名がある。
背景
ひとくくりに「アルカリ」という言葉で呼ばれるソーダ灰(炭酸ナトリウム)と炭酸カリウムは、ガラス、織物、石けんおよび製紙業において非常に重要な化学物質である。西ヨーロッパにおけるアルカリの伝統的な拠りどころは木灰から得られるPotash(粗製炭酸カリウム)であった。しかしながら1700年代までに、森林破壊はこの非効率的生産をもたらしてきたので、アルカリは輸入されなければならなかった。Potashはまだ広大な森林を保っていた北アメリカ、スカンジナビアおよびロシアから輸入された。ソーダ灰はオカヒジキと呼ばれる海岸に生える耐塩性の植物から生産されていたのでスペインやカナリア諸島から輸入されるか、あるいは、乾いた湖底から鉱物性ナトロン(炭酸ナトリウム水和物)を採掘していたエジプトから輸入された。イギリスでは特に、スコットランドやアイルランドの浜辺で洗われたケルプから得られるアルカリが国内で得られる唯一の原材料であった。
1783年、フランスのルイ16世とフランス科学学士院は、海塩(塩化ナトリウム)からアルカリを作り出す方法に2400リーブルの賞金をかけた。1791年に、オルレアン家当主ルイ・フィリップ二世の主治医であったニコラ・ルブランはその方法の特許権を得た。
化学的作用

ルブラン法は、塩化ナトリウムが一連の処理を施され、最終的に炭酸ナトリウムを生成する一連の反応であった。最初の段階で、硫酸ナトリウム(ソルトケーキと呼ばれる)を生成するために塩化ナトリウムを硫酸と混合して加熱する。この化学反応で塩化水素ガスが発生する。
ルブラン法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:41 UTC 版)
当時、炭酸ナトリウム(ソーダと呼ばれていた)の原料は木材の灰だけであった。ところが、森林が減少する一方なのに対し、ソーダの需要は増していた。このため、1775年、フランス科学学士院は食塩から炭酸ナトリウムを作り出すことのできる工程に対する賞を提案した。フランス学士院は安価な塩化ナトリウムから需要の多い炭酸ナトリウムを製造することを推進したかった。 1791年までに、ニコラ・ルブランは2段階の反応によって塩から炭酸ナトリウムを製造することに成功した。最初の段階では、塩化ナトリウムは濃硫酸と800 – 900℃で混合され、塩化水素が生じ、固体の硫酸ナトリウムが生成される。第2段階で、硫酸ナトリウムは砕いて木炭、石灰石と混合され、再び高炉の中で加熱される。木炭と混合した炭酸ナトリウムは「黒灰」と呼ばれた。これを水に溶かした後、炭酸ナトリウムのみを回収した。 海水中の塩と硫酸を原料として用いたニコラ・ルブランの方法に対して賞は授与された。のちに、1年間に320トンの炭酸ナトリウムを製造する彼自身の工場がオルレアン公の援助によりパリの北に位置するサンドニに稼働した。
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