リーメス計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:27 UTC 版)
リーメス計画は、西部のドイツ国境の要塞陣地を強化するべくヒトラーによる命令で始まった。1938年に始まったこの計画で建設された掩蔽壕は、より強靭に構築された。この計画による10型掩蔽壕用の枠組みは、構築するために一個あたりおよそ20人/年の労力を要し、コンクリート約287m3を必要とした。これはアパートの小さなブロックのために必要とされる量に非常に近い。 こうした掩蔽壕は厚さ1.5mの天井および壁を持っていたが、建設が終了する前にさえ、これでは全く不十分であることが判明した。合計3,471個の10型掩蔽壕が、ジークフリート線の全長に渡って構築された。掩蔽壕は中央の部屋、または10~12人のための入り口付き退避壕、後面に向いた段差付き銃眼および50cm高い戦闘区画を持っていた。この区画は、機関銃のための正面および側面の銃眼、および個別の入口を持っていた。カービン銃のためのより多くの銃眼が設置されていた。また、全構造は第一次世界大戦の経験に基づいて、毒ガスに対して安全なように構築された。 掩蔽壕は安全ストーブで暖房され、外部に通じている煙突は厚い格子ぶたで覆われていた。すべての兵士は眠る場所と腰かけを与えられた。一方、指揮官は椅子を与えられた。空間はほとんどなく、兵士1人あたり約1m2だった。つまり部屋一杯に詰め込まれていた。 今日なお残っているこのタイプの掩蔽壕の内部には、兵士に任務に備えさせるための掲示が掛けられている。例えば「敵が聴いているぞ!」(壁に耳あり)あるいは、「銃眼が開いている間は消灯せよ!」などである。
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