リッチランド (ワシントン州)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リッチランド (ワシントン州)の意味・解説 

リッチランド (ワシントン州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 00:13 UTC 版)

リッチランド
リッチランド遠望
ベントン郡内の位置
北緯46度16分47秒 西経119度16分53秒 / 北緯46.27972度 西経119.28139度 / 46.27972; -119.28139座標: 北緯46度16分47秒 西経119度16分53秒 / 北緯46.27972度 西経119.28139度 / 46.27972; -119.28139
アメリカ合衆国
ワシントン州
ベントン郡
面積
 • 合計 37.8 mi2 (97.8 km2)
 • 陸地 34.8 mi2 (90.2 km2)
 • 水域 2.9 mi2 (7.6 km2)
標高
384 ft (117 m)
人口
(2020年)[1]
 • 合計 60,560人
等時帯 UTC-8 (太平洋標準時)
 • 夏時間 UTC-7 (PDT)
ZIPコード
99352-99353-99354
市外局番 509
連邦情報処理標準 53-58235[2]
地名情報システム feature ID 1513395[3]
ウェブサイト richland.wa.us
テンプレートを表示

リッチランド(Richland)は、アメリカ合衆国ワシントン州ベントン郡の都市である。人口は6万0560人(2020年)。ワシントン州の南部に位置し、コロンビア川ヤキマ川英語版の合流点である。

トリシティズと呼ばれるハンフォード・サイト近郊の中規模な都市圏に含まれる。トリシティズにはリッチランドの他にケニウィックパスコが属している。

歴史

何世紀もの間、ヤキマ川河口にChemna村があった。現在、村のあった場所はコロンビア・ポイント (Columbia Point) と呼ばれている。インディアンのワナパム族 (Wanapum) とワラワラ族 (Walla Walla) はヤキマ川からサケを収穫して生活していた。

1805年10月17日、ルイス・クラーク探検隊の隊長ウィリアム・クラークがヤキマ川河口を訪れた。

1904年から1905年にかけて、W.R.アモン (W.R. Amon) と彼の息子ハワードは、9 [km2] (2,300 エーカー)を購入し、ヤキマ川北岸に町をつくるよう提案した。1905年、郵便局がこの地をリッチランドと命名した。州議会議員ネルソン・リッチ (Nelson Rich) が由来である。1906年、ベントン群の裁判所に登録された。1910年4月28日、ワシントン州第四級都市として、正式に設立された。第二次世界大戦が開戦されるまでは小さな農業の町であった。

1943年7月から8月にかけて、コロンビア川周辺の1660 km2 (640 mi2) (ロードアイランド州の約半分に相当する) の土地をアメリカ陸軍が購入し、ハンフォード・サイトがつくられた。ホワイトブラフスの住民約300人が避難し、町が消滅した。陸軍はそれをマンハッタン計画に従事する労働者の住居に転用した。第二次世界大戦が集結する1943年8月までには、人口が25,000へと増加した。

終戦後、リッチランドから北へ24 km (15 mile) 離れた場所にあったハンフォード・サイト労働者の宿営地が閉鎖された。労働者の多くは町を離れたが、その一部がリッチランドへと移住したため、リッチランドは急速な過疎化を免れた。

1947年から1949年にかけて、ソビエト連邦との冷戦が激化し、プルトニウムの生産能力を拡大した。ソ連による核兵器開発や実験に触発され、アメリカの核兵器開発が再び活発になった。1952年、リッチランドが建設ブームに沸き、人口が27,000へと増加した。多くの人はリッチランド北部にあるトレーラーに住んでいたが、時間が経つに連れてトレーラーを立ち退き、リッチランドの中心部が成長していった。

この頃、リッチランドは政府の原子力共同体 (federally controlled Atomic Energy community) により住民との接触は制限され、陸軍の承認を必要とした。すべての土地と建物は政府が所有し、住民には住宅が割り当てられ、電球・無料シャトルバス・街路樹に至るすべてのものが政府から提供されていた。1954年、ハロルド・オーランド・モンソン (Harold Orlando Monson) がリッチランドの最初の市長に選出され、全国の軍事都市における市民の権利 (家の所有権など) について政府と交渉するためにワシントンD.C.へと向かった。

1957年、政府は土地と建物の権利を住民へと移譲した。1958年、ワシントン州第一級都市へと昇格し、住民との接触の制限が解除された。未開発の土地の大部分は市の所有物となった。この頃から核兵器の生産拠点から他の産業へと移行しはじめた。

1987年、最後の生産用原子炉が閉鎖され、環境浄化技術の開発へと移行した。現在もリッチランド住民の多くは、ハンフォード・サイトの浄化に関する仕事に従事している。

地理

北緯46度16分47秒、西経119度16分53秒 (46.279657, -119.281377)[4]に位置している。

アメリカ合衆国統計局によると、総面積97.8 km2 (37.8 mi2) である。このうち90.2 km2 (34.8 mi2) が陸地であり、7.6 km2 (2.9 mi2) (7.79%) が水地である。

気候

年間降水量はわずか19.3 cm (7.6 inch) である。低温砂漠気候ケッペンの気候区分BWk)であり、低木と草原が生育する。夏の気温が高く、稀に雷雨が発生する。冬はワシントン州東部の他の地域と比べて穏やかであり、積雪はほとんどない。


{{{location}}}の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 22
(71)
23
(73)
28
(82)
33
(92)
40
(104)
43
(110)
43
(110)
45
(113)
41
(106)
32
(89)
25
(77)
19
(66)
45
(113)
平均最高気温 °C°F 5
(41)
9
(48)
14
(58)
18
(65)
23
(73)
27
(80)
31
(88)
31
(88)
26
(78)
18
(64)
9
(49)
3
(38)
18
(64)
平均最低気温 °C°F −2
(29)
−1
(30)
2
(35)
5
(41)
9
(48)
12
(54)
15
(59)
14
(58)
10
(50)
4
(40)
1
(34)
−2
(28)
6
(42)
最低気温記録 °C°F −29
(−21)
−30
(−22)
−12
(11)
−5
(23)
−1
(30)
3
(38)
5
(41)
4
(39)
−1
(31)
−11
(13)
−21
(−6)
−23
(−10)
−30
(−22)
降水量 mm (inch) 25.7
(1.01)
20.3
(0.80)
17.5
(0.69)
15.2
(0.60)
16.5
(0.65)
12.7
(0.50)
6.4
(0.25)
4.1
(0.16)
7.9
(0.31)
13.7
(0.54)
25.9
(1.02)
28.4
(1.12)
193
(7.6)
出典:January2012

人口

人口推移
人口
1910 350
1920 279 −20.3%
1930 208 −25.4%
1940 247 18.8%
1950 21,809 8,729.6%
1960 23,548 8.0%
1970 26,290 11.6%
1980 33,578 27.7%
1990 32,315 −3.8%
2000 38,708 19.8%
2010 48,058 24.2%
2020 60,560 26.0%

2010年国勢調査推計による人口統計データ

基礎データ

  • 人口: 48,058人
  • 世帯数: 19,707世帯
  • 家族数: 12,974家族
  • 人口密度: 519.5人/km2(1,345.4人/mi2
  • 住居数: 20,876軒
  • 住居密度: 225.6軒/km2(584.4軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 24.2%
  • 18-24歳: 8.1%
  • 25-44歳: 24.7%
  • 45-64歳: 28.4%
  • 65歳以上: 14.6%
  • 年齢の中央値: 39.4歳
  • 性比
    • 男性: 49.0%
    • 女性: 51.0%

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 31.0%
  • 結婚・同居している夫婦: 51.6%
  • 未婚・離婚・死別男性が世帯主: 4.2%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.0%
  • 非家族世帯: 34.2%
  • 単身世帯: 28.2%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 10.1%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.42人
    • 家族: 2.97人

収入と家計(2000年推計)

  • 収入の中央値
    • 世帯: 53,092米ドル
    • 家族: 82,35米ドル
    • 性別
      • 男性: 52,648米ドル
      • 女性: 30,472米ドル
  • 人口1人あたり収入: 25,494米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 5.7%
    • 対家族数: 8.2%
    • 18歳以下: 10.8%
    • 65歳以上: 5.6%

経済

工業

原子力に関連する技術の研究や生産がリッチランドの主要産業である。

1965年以降、パシフィック・ノースウェスト国立研究所 (PNNL: Pacific_Northwest_National_Laboratory)のメインキャンパスである。また、重力波干渉計 (LIGO) のひとつがリッチランド北部に設置されている。そのため、多数のハイテク産業の専門家やコンサルタントがリッチランド技術センターの近郊に住んでいる。

主な雇用主は、PNNLのバテル記念研究所英語版ベクテル、Washington River Protection Solutions、Washington Closure、CH2M Hill Plateau Remediation Company、Duratek Federal Services, Inc.、EnergySolutions(Duratek) Federal Services, Inc.、Energy Northwestアレヴァロッキード・マーティンアメリカ合衆国エネルギー省である。

農業

コロンビア川流域ではジャガイモなどの農産物の栽培や、食品製造業(コナグラ・フーズ英語版、ラム・ウェストン)が盛んである。

コロンビア川下流ではワインの生産が主要産業のひとつである。アメリカのブドウ栽培地域 (American Viticultural Area) の中央に位置しており、国際的に認められた4つのアペラシオンを製造している。リッチランドを囲むコロンビア・バレー (Columbia Valley) では7,000 ヘクタール以上、西のヤキマ・バレー (Yakima Valley) で5,000 ヘクタール、東のワラワラ・バレー (Walla Walla Valley) で500ヘクタール、ワイン用のブドウが栽培されている。すぐ西のレッド・マウンテン (Red Mountain) では、350 ヘクタールしか栽培されていないが、世界クラスのワインが生産されている。なお、表彰されたワシントン州産のワインのほとんどは、レッド・マウンテン産のカベルネ・ソーヴィニヨンが原料となっている。Barnard Griffin Winery、Bookwalter Winery、Tagaris Winery はリッチランドにあるワイナリーである。他にも、20のワイナリーが車で15分以内にあり、100以上のワイナリーが96.54 km (60 マイル) 以内にある。

主なワイナリー

教育

  • 学区
    • リッチランド教育学区: リッチランドおよびウェストリッチランドには、小学校が9つ、中学校が3つ、高校が4つある。教育学区の2006年における予算は7,000万米ドルであり、生徒は約10,150名、雇用者は約1,100名である。
  • 高等教育
    • コロンビア・ベイスン・カレッジ英語版: 小さなブランチキャンパスが設置されている。
    • ワシントン州立大学トリシティズ英語版: 1989年設立。リッチランド北部のコロンビア川西岸にある。

交通

市内にはリッチランド空港があり、近郊のパスコにはトリシティズ空港英語版がある。

また、ベン・フランクリン・トランジット(Ben Franklin Transit)がリッチランドを含むトリシティのバス交通を提供している。

  • 鉄道:
  • 空港: リッチランド空港 (ワシントン州)英語版

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

有名人

姉妹都市

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リッチランド (ワシントン州)」の関連用語

リッチランド (ワシントン州)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リッチランド (ワシントン州)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリッチランド (ワシントン州) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS