リオン・フォイヒトヴァンガーとは? わかりやすく解説

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リオン・フォイヒトヴァンガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 04:17 UTC 版)

リオン・フォイヒトヴァンガーLion Feuchtwanger1884年7月7日 - 1958年12月21日)は、ヴァイマル共和国(現:ドイツミュンヘン出身のドイツ系ユダヤ人小説家劇作家

1923年に同国の劇作家、詩人演出家ベルトルト・ブレヒトと『エドワード2世の生涯』(en:The Life of Edward II of England)や戯曲を共著している。代表作は1925年に著された歴史小説の『ユダヤ人ジュース』(en:Jud Süß (Feuchtwanger novel))が挙げられる。なお、『ユダヤ人ジュース』はベストセラーになり、1934年イギリス映画化され、その後は1940年ナチス反ユダヤ主義歪曲して映画『ユダヤ人ズュース』が作製された[1]

生涯

1884年7月7日にヴァイマル共和国ミュンヘンにユダヤ人実業家の元に長男として生まれるが、シオニストであった父に反抗し、劇評や文筆活動で自立するようになる[1]

1933年にはナチスのニュルンベルク法、ユダヤ人迫害をおそれ、フランス亡命した後にアメリカに移り住む。フォイヒトヴァンガーはアメリカで反ファシズム運動を起こし、晩年には真剣さと娯楽性を兼備すると評価され、アメリカ、ソ連と、ドイツ国外に読者が多い[2]小説ゴヤ』や『エフタとその娘(de:Jefta und seine Tochter )』を著す。

1958年12月21日、アメリカのロサンゼルスで亡くなる。

その他

1930年代、リオン・フォイヒトヴァンガーの兄の家はミュンヘンにあったが、その隣に住んでいたのが、アドルフ・ヒトラーである。この兄の子で、サウサンプトン大学の歴史学教授、エドガー・フォイヒトヴァンガー(de:Edgar Feuchtwanger)は子供のときにヒトラーを見たことがあり、この時のことを著書「ヒトラーが隣に住んでいたとき」に著した。

作品

邦訳

  • 『猶太人・ジユス』谷譲次中央公論社 1930
  • 『モスコー一九三七年』加田顕治訳編 国際書局 1937
  • 『モスコオ一九三七年』伊藤鋭太郎訳 春秋社 1937
  • 『ソビエート紀行』道本清一郎訳 クラルテ社 1946
  • 『ゴヤ スペインの戦慄』坂崎乙郎美術出版社 1959
  • 『極地探検』寺木忠訳 勁草出版サービスセンター 1980
  • 『トレド風雲録』小栗浩晶文社 1991
  • 『宮廷画家ゴヤ 荒ぶる魂のさけび』鈴木芳子訳 エディションq 2004

脚注・参考文献




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