ラファイエット (空母)とは? わかりやすく解説

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ラファイエット (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 02:50 UTC 版)

艦歴
起工 1942年4月11日
進水 1943年5月22日
貸与 1951年6月2日
退役 1963年3月20日
その後
性能諸元
排水量 基準:11,000トン
満載:15,200トン
全長 622.5 ft (189.7 m)
水線長 600.0 ft (182.88m)
全幅 109' 2" (33.3 m)
水線幅 71.5 ft (21.8 m)
吃水 26 ft (7.9 m)
飛行甲板長 178.3 m×33.3 m
機関 バブコックス&ウィルコックス式重油専焼水管缶4基
+GEギヤードタービン4基4軸推進
最大出力 100,000 shp
最大速力 32.0ノット
航続距離 20 ノット/7,350 海里
燃料 重油:3,169 トン
航空燃料:449 トン
乗員 士官、兵員:1,569名
兵装 ボフォース4cm(56口径)機関砲18門
搭載機 45機
防御 舷側:25-114mm(水線部)
甲板:55.8mm(主甲板)

ラファイエット (La Fayette, R96) は、フランス海軍航空母艦。元はアメリカ海軍インディペンデンス級航空母艦ラングレー」で、1951年にフランス海軍に貸与されて海軍航空隊が運用した。艦名はラファイエット侯爵にちなむ。フランスの大型貨客船「ノルマンディー」をアメリカ太平洋戦争勃発と共に接収[注釈 1]、航空母艦(日本側の観測であり実際は兵員輸送船)に改造しようとした時の艦名が「ラファイエット」だった[注釈 2][注釈 3]

艦歴

ラファイエット(1951年)
ラファイエット(1953年)

アメリカ海軍の軽空母「ラングレー (USS Langley, CVL-27)」は第二次世界大戦終結後の1947年2月に予備役となる。1951年初めにモスボール化が解かれ、相互防衛援助法英語版軍事援助計画)の下でフランスに移管され、フランス海軍空母「ラ・ファイエット」として再就役した。前述のように第二次世界大戦中、ニューヨークで抑留されていたフランス豪華客船「ノルマンディー」を、アメリカ海軍が接収して空母改造を試みた時の艦名が「ラファイエット」である[4][注釈 4]

トゥーロンを母港とし、1953年6月まで第一次インドシナ戦争で多くの任務を遂行した。この任務の間、空母航空隊の艦載機はF6FSB2Cで編成されていた。

1953年から1954年にかけて近代化改修が実施され、それから地中海大西洋のアフリカ沿岸における任務に従事した。

1956年前半には、艦載機はF4UTBFに更新され、南北に分割されたインドシナ沿岸における任務に従事する。

1956年10月に勃発したスエズ動乱に参加するため、空母「アローマンシュ」と[注釈 5]イギリス海軍空母イーグル (HMS Eagle, R05)」と共に空挺および上陸作戦支援のための航空作戦に従事する。

1960年3月には、モロッコアガディールにおいて発生した地震の被災救援活動に参加した。

1962年エビアン協定成立後のアルジェリア独立に伴う混乱から逃れるピエ・ノワールのフランス本土送還事業に、フランス海軍の参加艦艇の第一陣として任務に従事する。

10年以上の間、フランス海軍における任務に従事し、フランスが初めて完成させた正規空母クレマンソー」就役に伴い、1963年にアメリカに返還された。1964年にスクラップとして売却された。

フランス海軍における「ラファイエット」は約350,000海里を航海し、艦載機19,805回の着艦を記録した。「ラファイエット」はインドシナでの任務を評価され、フランス戦争十字賞を授与された。「ラファイエット」の艦名は、フリゲート「ラファイエット (F710)」に受け継がれている。

注釈

  1. ^ 【ストツクホルム十二日發】[1] 國通=ワシントンからのDNB通信の情報によれば、豫て一朝有事の際には航空母艦に改装出來るだらうと噂されてゐたフランスが誇る世界一の巨船ノルマンデイー號(八三,四二三噸)はアメリカ國内諸港に碇泊中に十二日アメリカ沿岸防備隊に接収されフランス人乗組員は全部下船せしめられた、アメリカ國務省はこれは萬一の場合に對する豫備的措置であると言明してゐる(記事おわり)
  2. ^ 【ニューヨーク十日ISS】[2] 華やかな日の消え失せて疲れ果てた美人の如く、元フランス豪華客船ノルマンデー號は猛火のため船内を燒失したまゝ今朝左舷を傾けてゐる、昨日午後就働者のアセチリン炬火から引火して火災を生じたもので、調査官は怠業ではないと判決した、第三海軍區司令官アドルフアス・アンドリュース少将は"吾々の調査は何等怠業を示唆してゐない"と述べた、(六千萬弗のフランス豪華船ノルマンデー號は一九三九年の歐洲戰爭勃發當時ニューヨーク港内に碇泊中であつた、最近ハドソン河に移され米國これを接収してラフヱツト號と改名、飛行機母艦に改装中と傳へられてゐた)(記事おわり)
  3. ^ 【リスボン十二日發】[3] 國通=ニューヨーク來電によれば米國政府に拿捕され航空母艦に改造本年二月九日原因不明の火災により轉覆した元フランス豪華船ノルマンデー(八三、五二三噸)浮遊作業は近く完了しラフアイケツトと改名される豫定である(以下略)(記事おわり)
  4. ^ ノルマンディ號發火、遂に沈没[5]ヴィシー【二・九】ニューヨーク・アヴス電によれば米政府に拿捕されラアイエット號と改名、目下航空母艦に改装中と傳へられた元佛豪華船ノルマンディ號(八三、四二三噸)に火災を生じた旨九日米陸軍省より次の如く發表された(以下略)
  5. ^ 元はイギリス海軍のコロッサス級航空母艦「コロッサス (HMS Colossus, R15)」で、フランス海軍に供与されて「アローマンシュ」となった。

出典

  1. ^ 米、ノルマンデイ號を接収”. Manshū Nichinichi Shinbun, 1941.12.14. pp. 02. 2024年9月23日閲覧。
  2. ^ ノルマンデー號燒失”. Nippu Jiji, 1942.02.10. pp. 01. 2024年9月23日閲覧。
  3. ^ 起き上つたノルマンデー號”. Manshū Nichinichi Shinbun, 1941.12.14. pp. 01. 2024年9月23日閲覧。
  4. ^ 「米国内○其ノ他 ノルマンデイ号、数日中ニ起キ上ルト」、各種情報資料・米国内放送傍受情報(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A03025148300 
  5. ^ 同盟旬報(通号167号) 1942, p. 111.

参考文献

関連項目

外部リンク




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