ライプツィヒとベルリンでの活動とは? わかりやすく解説

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ライプツィヒとベルリンでの活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 04:50 UTC 版)

フェリックス・メンデルスゾーン」の記事における「ライプツィヒとベルリンでの活動」の解説

1835年メンデルスゾーンライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団指揮者任命された。これはミュンヘンオペラハウスでの音楽監督への誘い、またドイツ音楽雑誌「Allgemeine musikalische Zeitung」の編集部への勧誘断って選択だった。メンデルスゾーンはこの管弦楽団オペラハウストーマス教会少年合唱団、また町の他の合唱組織音楽学校連携しながら、ライプツィヒ音楽水準の向上に集中した。彼が演奏会取り上げたのは自作の他、3つのシリーズとなった歴史的音楽コンサート」や同時代作曲家多く作品などだった。彼の元に若手作曲家作曲家志望の者から、曲を取り上げてほしいと依頼殺到したそのような中の1人ワーグナーがおり、彼は自分送った交響曲 ハ長調」の草稿メンデルスゾーン紛失したとして、嫌悪感抱いたメンデルスゾーンシューベルト作品復興にも携わっている。シューマンは、自ら発見したシューベルトの「交響曲第8番」の自筆譜メンデルスゾーン送り届けメンデルスゾーンすぐさまこれを初演した。日時1839年3月21日ライプツィヒで、シューベルトの死からは10年以上が経っていた。 ライプツィヒ時代メンデルスゾーンにとって記念碑的な出来事となったのは、オラトリオ聖パウロ英語版)」の初演である。1836年デュッセルドルフライン音楽祭行われたこの演奏会直前に父がこの世去っており、メンデルスゾーンは非常に落ち込んでいた。彼はこう記している。「(私は)父に認められるための努力これから決し止めはしません(中略)しかし私はもはやその努力を楽しむことはできないのです」同時代作曲家多くは「聖パウロ」を彼の最高傑作であるとみなし、これが彼のヨーロッパでの名声確固たるものとした。 1840年プロイセンの王位に付いたフリードリヒ・ヴィルヘルム4世ベルリン文化中心都市にしたいと希望しており、音楽学校新設教会音楽刷新などを含めた改革先頭に、メンデルスゾーン立てたいという意向が明白であった。しかしメンデルスゾーンライプツィヒでの強力な地位があったこともあり、この事業乗り気ではなかった。とはいえ彼は一時ベルリン滞在し教会音楽作曲したり、王の求め応じソポクレスの「アンティゴネ」(1841年)と「コロノスのオイディプス」(1845年)、シェイクスピアの「夏の夜の夢」(1843年)、ジャン・ラシーヌの「アタリー英語版)」(1845年)に曲をつけるなどした。しかし学校新設基金実際に準備されることはなく、メンデルスゾーン宮廷との間に交わした財政地位演奏会予定などの約束守られなかった。このため彼はライプツィヒへ戻るために暇を頂戴することをためらわなかった。 1843年メンデルスゾーン重要な音楽学校設立することになる。ライプツィヒ音楽院現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒである。彼はモシェレスシューマン対し講師として加わるように説得行っている。他の名高い音楽家たち、ヴァイオリニストフェルディナンド・ダヴィッドヨーゼフ・ヨアヒム音楽理論家モーリッツ・ハウプトマンらも教員として参加した1847年メンデルスゾーン死後は、学長引き継いだモシェレス彼の音楽院での伝統実践した

※この「ライプツィヒとベルリンでの活動」の解説は、「フェリックス・メンデルスゾーン」の解説の一部です。
「ライプツィヒとベルリンでの活動」を含む「フェリックス・メンデルスゾーン」の記事については、「フェリックス・メンデルスゾーン」の概要を参照ください。

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