ライプチヒ学派の設立
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「ヴィルヘルム・ビヤークネス」の記事における「ライプチヒ学派の設立」の解説
1903年のライト兄弟による飛行機の発明以降、飛行機とそのための航空学が飛躍的に進歩しつつあった。当時ドイツでは航空の進歩を自国の発展の機会と捉えていた。ツェッペリン飛行船の基地があったライプチヒは飛行船の世界の中心地となり、ライプチヒ大学に気象の問題を研究する地球物理学研究所が設立されることになった。ヴィルヘルムはそこの所長に招聘された。ヴィルヘルムにとっては、その研究所で高層大気の気象データと自らの手法を駆使して物理学を使った気象予測について研究し、また自らの方針に沿った学生を育てることは気象予測の科学化を発展させていくのに願ってもない好機だった。1913年1月8日、ヴィルヘルムはライプチヒ大学地球物理学研究所の所長に就任した際の演説で、物理学を使った気象予測について次のように述べている。 "数世紀前、天文学のために解かれた正確な予測計算の問題は、現在では気象学に対してあらゆる熱意をもって取り組まなければなりません。この問題は途方もない重要性を持っています。その解決は長い努力の結果でしか得られません。個々の研究者が最大の努力を払っても、一気に先に進めることはできません。しかし、私は我々の研究の目的としてこの問題の検討を急ぐ必要はないと確信しています。誰しも直ちに達成できることだけを目的とするとは限りません。おそらく到達不能なほど遠い目的であっても、それにまっすぐに向かう努力は1つの針路を定める役目を果たします。そのため現在の状態において極めて遠いこの目的は、努力と研究のための貴重な計画を与えるのです。" ライプチヒ大学地球物理学研究所では、彼は風の流線などを幾何学的に取り扱う視覚的な解析による天気予報を研究した。しかし、地上付近の風は地形によって複雑に変わるため、それは容易ではなかった。そのため、彼はだんだん上層の大気へと関心を移した。ライプチヒ大学地球物理学研究所からは定期的に上層の天気図が発行された。この天気図は後にルイス・フライ・リチャードソンによる手計算による数値予報の初期値の算出に用いられた。1916年にヘッセルベルクとスベルドラップがそれぞれの都合でライプチッヒを離れる代わりに、息子のヤコブ・ビヤークネスと同じノルウェー出身のゾルベルクが助手として研究に加わった。ライプチヒ大学地球物理学研究所で気象研究に携わった研究者たちは、後に気象学のライプチヒ学派と呼ばれるようになった。
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