ヨーク家の勝利とは? わかりやすく解説

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ヨーク家の勝利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:02 UTC 版)

リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)」の記事における「ヨーク家の勝利」の解説

1459年9月ウォリックブロア・ヒースの戦いランカスター家破って間もないソールズベリー伯及びヨーク公合流するため、イングランドへ渡航し、ラドローを目指し北上した。ラドフォード・ブリッジの近くで彼らの軍はランカスター軍に打ち負かされた。これはアンドリュー・トロロップの指揮にあったウォリックカレー派遣部隊敗北したことに一因がある。これが明らかになったとき、兵士大部分は王に武器を向けることに気乗りしなかったのである国外逃亡することを余儀なくされたヨーク公ダブリン向かいウォリックソールズベリー伯ヨーク公息子マーチ伯エドワード(後のエドワード4世とともにカレー落ち延びたウォリックかわってサマセット公ヘンリー・ボーフォートカレー総督任命されたが、ヨーク側は何とかこの要塞維持した1460年3月ウォリック今後の計画について協議するためアイルランドヨーク公訪ねその後カレー戻った6月26日、彼はソールズベリー伯マーチ伯とともにサンドウィッチ上陸しロンドンへ向け行軍したソールズベリー伯ロンドン塔統制任されウォリックマーチ伯伴って国王追跡行った7月10日ノーサンプトンにおいて国王捕われバッキンガム公その他は戦死した9月になりヨーク公アイルランドから帰還した。そしてこの年10月議会において、ヨーク公玉座の前まで歩み出て、手で触れるという挙に出た簒奪を示すこの振る舞いは、議会出席者対し衝撃与えたウォリックがこのヨーク公計画事前に知っていたかははっきりしないが、前年3月アイルランドにおいて両者の間に合意があったことは推測される。しかしまもなく、この政権転覆議会貴族たちにとって受け入れがたいものであることが明確になり、妥協案が合意された。1460年10月30日成立した合意令(Act of Accord)は、ヘンリー6世がその死まで王位にとどまることを認めるが、その息子エドワード王位継承権認められない代わりにヨーク公王位継承しそれまでヨーク公摂政の任にあたるというものであった。 この妥協案は双方にとって満足いくものではなくさらなる紛争避けがたいものであった12月30日ウェイクフィールドの戦いで、ヨーク公ソールズベリー伯ヨーク公次男ラットランド伯エドムンドウォリックの弟トマスとともに戦死したウォリック北方行軍したが、第二次セント・オールバンズの戦い敗北し逃亡余儀なくされた。その後ウォリックは、ヨーク側の新たな王位請求者となったエドワードモーティマーズ・クロスの戦い重要な勝利を収めたばかりであった)の軍と合流したマーガレット王妃次の行動躊躇している間に、ウォリックエドワードロンドン急行したロンドン市民はランカスター軍の粗暴な振る舞い恐れおののいており、ヨーク家側に同情的であった3月4日エドワード速やかに召集され議会においてエドワード4世宣した。彼は国王の座を確固たるものとするため軍を北方進めヨークシャーのタウトンでランカスター軍と衝突したウォリックはその前のフェリブリッジの戦いで足を負傷していたため、このタウトンの戦いでは大した役割果たせなかった。 このイングランド史上まれな血なまぐさい戦いヨーク側の完勝終わりランカスター方の重要人物ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー、アンドルー・トロロップといった人々戦死したマーガレット王妃ヘンリー6世エドワード王太子とともに辛くもスコットランドへ落ちていった。エドワード戴冠式のためにロンドンへ帰還しウォリック北方鎮定のためとどまった

※この「ヨーク家の勝利」の解説は、「リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)」の解説の一部です。
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