モンチュ神域の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
「カルナック神殿」の記事における「モンチュ神域の構成」の解説
モンチュの神域の主な構造物は、モンチュ神殿、マアト神殿、ハルパラー神殿、聖池、プトレマイオス3世エウエルゲテスとプトレマイオス4世フィロパトル(紀元前221-205年)による記念門で、それらはアメン大神殿の神域内より容易に見られる最も目につく建造物である。この記念門は、バブ・エル=アブド (Bab el-Abd) とも呼ばれている。この大きな記念碑的な門は、カルナック神殿の北東5キロメートルにあるメダムード(英語版)(古名マドゥ、Madu)のモンチュ神殿(英語版)につながる行路に通じるスフィンクス参道および船着場に先だって置かれていた。この門を抜けると、一方は第25王朝時代より始まる列柱で装飾された大きな中庭に至る。南には一連の扉口が、アメン大神殿の北側の部分に隣接したアメン神崇拝(英: Divine Adoratrice of Amun)の保管庫の連なる構内に開かれていた。構内は泥煉瓦で築かれ、第30王朝のネクタネボにより修復された。 モンチュ神殿 モンチュ神殿は、塔門、中庭、それに柱で満たされた室内を持つエジプト神殿の伝統的要素より構成されていた。神殿遺跡は、中王国時代の第11王朝より続く聖域を再構築し、それをアメンに捧げた第18王朝のアメンホテプ3世の統治時代にさかのぼる。ラムセス2世が、前庭とそこに直立した2基のオベリスクを加えたことで、神殿の規模は増大した。構台を持つ広い中庭は、アメンホテプ1世治世の建造物の特徴である中庭に広がる多柱式建築に面している。至聖所の構成としては、礼拝の多様な保管室の役目を果たす4本の柱を持つ部屋と、神による神殿の前には聖舟の部屋が面するように造られていた。また、モンチュの神殿は、近隣のメダムードのほか、アルマント(英語版)(古名イウヌ=モンチュ、Iunu-Montu)、トゥード(英語版)(古名ジェルティ、Djerty、トゥフィウム、Tuphium)において知られる。 マアト神殿 人頭スフィンクス参道が延びる北に門があるモンチュ神殿対して、南北の同軸線上に後ろ向きに建つマアトの神殿は、中庭と小さな列柱室で構成される。第20王朝末期にラムセス9世(紀元前1126-1108年頃)のもと、王家の墓の盗掘が裁かれたその中庭が広く知られる。 ハルパラー神殿 モンチュ神殿の東側に並行する子神ハルパラーの小神殿は、第29王朝のハコルのもとで大部分が構築された。
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