モンチュ神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
モンチュ神殿は、塔門、中庭、それに柱で満たされた室内を持つエジプト神殿の伝統的要素より構成されていた。神殿遺跡は、中王国時代の第11王朝より続く聖域を再構築し、それをアメンに捧げた第18王朝のアメンホテプ3世の統治時代にさかのぼる。ラムセス2世が、前庭とそこに直立した2基のオベリスクを加えたことで、神殿の規模は増大した。構台を持つ広い中庭は、アメンホテプ1世治世の建造物の特徴である中庭に広がる多柱式建築に面している。至聖所の構成としては、礼拝の多様な保管室の役目を果たす4本の柱を持つ部屋と、神による神殿の前には聖舟の部屋が面するように造られていた。また、モンチュの神殿は、近隣のメダムードのほか、アルマント(英語版)(古名イウヌ=モンチュ、Iunu-Montu)、トゥード(英語版)(古名ジェルティ、Djerty、トゥフィウム、Tuphium)において知られる。
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