モンツァの悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/01 20:31 UTC 版)
「レンツォ・パゾリーニ」の記事における「モンツァの悲劇」の解説
1973年5月20日、イタリアGPが開催されたモンツァ・サーキットでパゾリーニは命を落とすことになった。 この日、マシントラブルにより350ccクラスのレースを残り4周でリタイヤしたパゾリーニは、続いて行われた250ccクラスの1周目に転倒を喫する。すぐ後ろでパゾリーニを追っていたヤーノ・サーリネンも避けきれずに転倒、後続のライダーも次々と巻き込まれ、最終的に12台のマシンがクラッシュする大惨事となった。この多重クラッシュにより、パゾリーニとサーリネンが死亡した。 パゾリーニが突然転倒した原因については諸説あるが、もっとも有力なのは直前に行われた350ccクラスでウォルター・ヴィラのマシンから漏れたオイルが路面に残っており、パゾリーニのマシンはこのオイルに乗ってスリップしたのではないかというものである。ヴィラのマシンは残り2周となったところでオイル漏れを起こしたが、少しでもポイントを稼ぎたいと考えたヴィラはそのまま走り続け、結果としてコースに多量のオイルを撒くことになってしまったのである。ライダーのひとりであるジョン・ドッズは、コース上にオイルが残っているおそれがあることを250ccのレースの前に各ライダーに警告するようにオフィシャルに要請していたが、オフィシャルはこれを怠っていた。少なくともピストンの焼きつきなどのエンジントラブルが転倒の原因でないことは、後の調査からはっきりしている。
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