メディアミックス成功とネオジオ拡大戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 11:14 UTC 版)
「SNK (1978年設立の企業)」の記事における「メディアミックス成功とネオジオ拡大戦略」の解説
エス・エヌ・ケイの主戦力となった同社の対戦格闘ゲームであるが、各作品ともシリーズを経る毎に操作システムのマニアックで複雑な進化を遂げて行く一方で、美形と女性キャラクターなど一部の人気キャラのキャラクター性を全面に打ち出した販売戦略などが顕著になり、それぞれの作品のCDドラマやテレビアニメ制作でメディア展開も繰り広げられた。 この対戦格闘ゲームのブームによる驚異的な売上によってもたらされた潤沢な資金は、エス・エヌ・ケイをさらに強気にさせることになり、1994年には家庭用ネオジオのCD-ROM機バージョンであるネオジオCD、1997年末にはMVS(業務用ネオジオ)後継のハイパーネオジオ64を発売、1998年には同社初の携帯型ゲーム機ネオジオポケットを、そのわずか5ヶ月後にはネオジオポケットカラーを発売した。 1999年にも東京・お台場のパレットタウンに「ネオジオワールド東京ベイサイド」(のちの東京レジャーランドパレットタウン店→MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless)を開園、観覧車やジェットコースターなど当時の技術の粋を集めた最新アトラクションを完備しており、オープン時には同じく台場に本社を建設したフジテレビを擁するフジサンケイグループとの大規模なタイアップが組まれ、各種メディアでたびたび特集された。 一方で、1990年代も終盤に差し掛かるとエス・エヌ・ケイが得意とする2D対戦格闘ゲームのブームは終焉を迎えており、ネオジオCDやハイパーネオジオ64も、ヒットには至らなかった。併せて、当初は好調だったネオジオポケットが後発のゲームボーイカラーに対して劣勢になりはじめ、開園したばかりの「ネオジオワールド東京ベイサイド」が、同時期にリニューアルオープンした「よこはまコスモワールド」に話題を奪われるなど、事業拡大一辺倒であったエス・エヌ・ケイの経営に次第にかげりが見え始めた。 結局のところ、この遊園地事業は莫大な赤字を出し、エス・エヌ・ケイの経営体力を浪費させただけであった。また、1999年には数多くのエス・エヌ・ケイ作品を紹介し攻略記事を掲載してきたアーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』が、出版元である新声社の倒産により廃刊となったのも痛手となった。
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