メイン・ストリームとローカル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
「ポピュラー音楽」の記事における「メイン・ストリームとローカル」の解説
この時代は、1930年代初頭の大不況による落込みはあったにせよ、アメリカの音楽業界が最も順調に進展した、メイン・ストリーム音楽の黄金時代だった。ここに挙げた新技術は全てポピュラー音楽を大衆に定着させるのに貢献した。しかし大衆の興味をつねに引きつけることには、ティン・パン・アレーのプロダクションとプロモーションの手腕をもってしても限界があり、例えば1930年にキューバの「南京豆売り」がヒットしてルンバ・ブームが突如巻き起こるなど、植民地型のポピュラー音楽が国外から入ってきて人気を奪い、音楽産業がそれを追いかけるといった現象もしばしばあった。 このことは、メイン・ストリーム(ティン・パン・アレーのポピュラー・ソングとブロードウェー・ミュージカル、先進国型のポピュラー音楽)と、ローカルな民族的基盤に基づいた音楽(ブルース・ラグタイム・ジャズなど、植民地型のポピュラー音楽)のその後の関係を示している。ジャズがそうであったように、もともとはサブカルチャーだったものがメイン・ストリームに取りこまれ、音楽業界の生産様式に組み込まれてメイン・カルチャー化するという流れである。 サブカルチャーは黒人のものとは限らない。1920年代、レコード会社が「ヒルビリー」と言うレーベルで、南部の白人大衆向けにアメリカ民謡に起源のある音楽を売りだした。アメリカ民謡に起源を持つメロディと、孤独、貧困、望郷など同時代のメイン・ストリームが取り上げないテーマを含んだ歌詞が共感を呼んだ。27年にミシシッピ生まれのロジャーズやカーター・ファミリーが評判となり、以後は急速に商業音楽として成長した。映画の誕生後は西部劇でカウボーイ姿で歌って人気を得る者が多く出て、西部開拓時代への懐古と田舎の生活への郷愁がこのジャンルの特徴となった。これはのちにカントリー&ウエスタンと呼ばれるジャンルとなるが、白人が担い手でありながら、ローカルな下層大衆の音楽であり、サブカルチャーとして始まり、後にメイン・ストリームに取りこまれることになる。
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ポピュラー音楽は、異質な音楽が混交したり、ローカルで自発的な音楽が荒削りな状態で流行ったのちメイン・ストリームに組み込まれると言うような形で発展してきたが、アメリカ国内の黒人音楽はジャズ・ロック・ソウル・フュージョン・ディスコなど、大半が商業主義に組み込まれてしまった。マイケル・ジャクソンやプリンスも、黒人による新種の商業主義音楽と考えることができる。こうした中、ヒップホップやラップは新たなローカルと言える が、アメリカの外に活力を求めたのがワールド・ミュージックだった、ということもできる。
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