映画の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:31 UTC 版)
グラン・カフェでの上映会が行われた1895年は、欧米で同時多発的に行われたスクリーン映写式による映画装置の開発がピークに達した年であり、そのうち数人の発明者はシネマトグラフよりも先に商業上映を行っていた。例えば、5月20日にレイサム兄弟とディクソンが開発したパントプティコン(英語版)、9月にトーマス・アーマット(英語版)とチャールズ・フランシス・ジェンキンス(英語版)が開発したファントスコープ(英語版)、11月1日にドイツのスクラダノフスキー兄弟(ドイツ語版)が開発したビオスコープが、それぞれ商業上映を始めている。しかし、シネマトグラフはこうした映画装置の中で最も技術的完成度が高く、商業上映もこれらの装置よりも大きく長期的な成功を収めた。さらにリュミエール以外の発明者は資本を持たない個人研究者だったのに対し、リュミエールは自分の技術成果を事業化していけるだけの資本を所有する企業家だったため、後述するようにシネマトグラフを世界的に普及させることができた。こうしたシネマトグラフの技術的かつ経済的な優位性により、一般的には1895年12月28日のシネマトグラフの最初の商業上映を以て「映画の誕生」と見なされている。1995年に映画誕生100周年を記念して世界各国で催しが行われたが、これもシネマトグラフの最初の商業上映をもとにしている。
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