松之助襲名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:12 UTC 版)
『尾上松之助自叙伝』によると、1904年(明治37年)3月1日に三代目市川荒五郎から名題昇進の免状を貰い、二代目尾上松之助を襲名したとされている。また尾上松之助の名は、尾上多見蔵の孫である尾上和市の前名だとしており、襲名披露は神戸の相生座で市川蝦十郎らと一座して行ったとしている。そのほかの多くの文献でも、松之助の襲名はこの記述に基づいている。 しかし、『尾上松之助自叙伝』の記述には誤りが多いことも指摘されている。『講座日本映画1日本映画の誕生』によると、松之助の襲名披露興行が神戸で行われたという資料はないという。さらに初代松之助を名乗っていた尾上和市は多見蔵の孫ではなく長男であり、和市は松之助を名乗ったことがなかった。そもそも尾上松之助という名は、1763年(宝暦13年)以来しばしば記録に名前があらわれるため、この時が二代目襲名というわけでもなかった。当時の歌舞伎界では、襲名は一流俳優がその血縁関係か、門人のなかで力量がある者に、その名を継がせることはあっても、何のつながりを持たない旅回りの俳優に襲名させるという例はなかった。そのため、尾上鶴三郎が松之助を名乗った経緯は不明である。
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