忘れられた映画の発明者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:11 UTC 版)
「ルイ・ル・プランス」の記事における「忘れられた映画の発明者」の解説
欧米の映画史黎明期は、カメラの特許取得競争で彩られている。1888年、ル・プランスは映画用カメラと映写機を兼ねた16レンズ機器の特許をアメリカで取得した。単レンズ型機器 (MkI) の特許は先例があるとしてアメリカでは却下されたが、数年後トーマス・エジソンはほぼ同じ特許をアメリカで取得している。 1888年10月14日、改良した単レンズカメラ (MkII) を使って「ラウンドヘイの庭の場面」を撮影。妻の実家が営むホワイトリー工場とホワイトリー家で披露しているが、一般には公開しなかった。 翌年、その発明をさらに追求すべく家族と共にニューヨークに移住するため、アメリカの市民権も取得した。しかし1890年9月にニューヨークで予定していた一般公開は、失踪によって中止された。結果として、ル・プランスが映画の誕生に果たした貢献は忘れ去られてしまった。
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