映画の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:13 UTC 版)
「キング・コング (1933年の映画)」の記事における「映画の解釈」の解説
19世紀から20世紀初頭にかけてアフリカ系人種は視覚的に猿のような描写をされていたが、これは人種的ステレオタイプに基づくメタファーであり、科学的人種主義(英語版)の台頭によって描写は強化されていった。映画黎明期には、こうした視点に基づき人種対立を反映した描写が多く登場した。『キング・コング』は『美女と野獣』と比較されることが多いが、映画研究家の多くは『キング・コング』を「異人種間恋愛(英語版)への戒めの物語」とみなしており、「黒さの担い手は人間から猿に置き換えられている」と指摘している。社会学的にもコングの存在は時代を映す鏡として採り上げられることも多く、「当時のアメリカの膨大な失業者」「黒人に対する白人側の恐怖」「母子が結びつく形での征服された性欲」などの他、様々な暗喩によって説明されている。また、当時のアメリカは世界恐慌の影響が残る時期であり、アンの身の上などにもそれがよく現れている。ヒットした背景にも、この経済的世情不安があったとの指摘も見られる。 こうした指摘に対して、クーパーとシュードサックはインタビューを通して「映画に隠されたメッセージは存在しない」と語っており、寓話的解釈を否定している。クーパーの死後に公表されたインタビュー記録の中で、彼は『キング・コング』の深い意味について語っている。クライマックスシーンの着想を得たきっかけについて「彼(クーパー)がマンハッタンのオフィスを出ようとした時に飛行機のモーター音が聞こえてきた。見上げると、街で最も高いビルの側を飛ぶ飛行機の翼に太陽の光が反射していた……彼は世界一高いビルの頂上に巨大ゴリラを配置し、それを武装した飛行機という最も現代的な武器で仕留めれば、現代文明に滅ぼされる原始人の物語を作れると考えたのだ」と書かれている。
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