ミドル級獲得
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2011年10月29日、再起戦で胡朋宏に3回TKO勝利を収め、日本ミドル級王座への挑戦権を獲得。コーチの加山利治によると、ミドル級では減量の必要がないという。日本ではスパーリングパートナーを探すことが困難なため、湯場の練習拠点はタイとなっているが、この年9月下旬から10月中旬までの期間もタイでムエタイの練習をする白人選手を相手に調整をした。 2012年2月4日、カルロス・リナレスとの日本ミドル級王座決定戦に出場。この試合のために12月下旬から4週間、タイで体重が80kgある(ライトヘビー級超の)イギリス人などのキックボクサーと毎日、ミット打ちとヘッドギアなしのスパーリングをした。試合序盤はリナレスのプレッシャーとクリーンヒットにボディーを返しながらも守勢に回り、セコンドからの「絶対にチャンスが来るから」焦らずに凌げという指示通りに試合を進めた。4回に入り、湯場陣営の思惑通りにリナレスが徐々に失速し始めたところを、左フックでダウンを奪った。しかし湯場は試合の3日前に左肩を脱臼し、ストレートは打てたが、フック系のパンチが打てなくなっていた。これを空振りしていたなら再び症状を悪化させかねない状態であった。5回には再びリナレスが猛攻を仕掛けたが、セコンドからの指示は諦めずに再び我慢しろというもので、湯場もこれを得策と考えた。ペースを取り戻そうとしたリナレスは急速に疲労を蓄積させ、6回には2度目のダウンを追加、5回か6回に湯場は顎を痛めたが、7回にはカウンターの左ストレートでリナレスを倒してカウントアウトさせ、7回TKOで勝利。日本ミドル級王座を獲得し、史上初の日本王座4階級制覇を達成した。 地方ジムに所属しての記録達成について湯場は、大手だと縛られるが自由にできたことがよかった、「そのほうが本人の責任になる」から、と語っている。「勝っても負けても引退」を決意して臨んだ試合であったが、勝利後はこれを撤回し、5階級制覇への意欲を示した。 この4階級制覇達成の記録には、同年現在住まいのある都城市と出身地の三股町が即座に対応し、同月のうちにそれぞれ市民栄誉賞・町民栄誉賞を贈った。また湯場はこの勝利で第33回チャンピオンカーニバルの最優秀選手賞に選出された。 2012年6月11日、プロ50戦目となる試合で日本同級1位で指名挑戦者の氏家福太郎に2回TKO勝利を収めて初防衛に成功したが、同年10月8日、6位の佐々木左之介に4回KO負けを喫して王座を失った。
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