ミドル級時代〜伝説の欧州遠征、ラモッタとの最後の死闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 02:29 UTC 版)
「シュガー・レイ・ロビンソン」の記事における「ミドル級時代〜伝説の欧州遠征、ラモッタとの最後の死闘」の解説
1950年6月5日、世界ウェルター級王座を保持したまま、ペンシルベニア州認定世界ミドル級王座決定戦に出場。ロバート・ビレメインに15回判定勝ち、王座獲得。8月25日、5年前に引き分けたホセ・バソラに1回KO勝ちをおさめ初防衛。 10月26日、後の世界ミドル級チャンピオン、カール・ボボ・オルソンと最初の対戦。12回KO勝ちで2度目の防衛。 1950年 - 51年、ラモッタとの6度目の対戦と前後して、ロビンソンは欧州各国を遠征した。 1950年11月27日、フランス・パリでジーン・ストックに2回TKO勝ち。12月9日、ベルギー・ブリュッセルでルーク・ヴァン・ダムに4回TKO勝ち。 12月16日、スイスのジェネバで、ジーン・バルザックに10回判定勝ち。 12月22日、フランス・パリでロバート・ビレメインと再戦、9回TKO勝ち。 12月25日、ドイツ・フランクフルトでハンス・シュトレツに5回TKO勝ち。 1951年2月14日、シカゴにて、宿敵ジェイク・ラモッタが保持するNBA(全米ボクシング協会=後のWBA)認定の世界ミドル級王座に挑戦。13回TKO勝ちで王座獲得。自らが保持するペンシルベニア州認定王座との統一を果たし、二階級制覇を達成した。ロビンソン対ラモッタ、実に6度目にして最後の対戦は、映画「レイジング・ブル」にも描かれたとおりの壮絶な死闘となり、試合の日時と場所から、1929年に起こったギャングの抗争事件になぞらえて「聖バレンタインデーの虐殺」と呼ばれた。6月10日、ベルギー・アントウェルペンでヤン・デ・ブリンに8回TKO勝ち。 6月26日、ドイツ・ベルリンにて、後の欧州ライトヘビー級チャンピオン、ゲルハルト・ヘクトと対戦、2回に反則のキドニー・ブローでKOしたため一度は失格負けの判定が下されるが、後にノーコンテストに変更された。
※この「ミドル級時代〜伝説の欧州遠征、ラモッタとの最後の死闘」の解説は、「シュガー・レイ・ロビンソン」の解説の一部です。
「ミドル級時代〜伝説の欧州遠征、ラモッタとの最後の死闘」を含む「シュガー・レイ・ロビンソン」の記事については、「シュガー・レイ・ロビンソン」の概要を参照ください。
- ミドル級時代〜伝説の欧州遠征、ラモッタとの最後の死闘のページへのリンク