ミッチェル騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 06:14 UTC 版)
「ケビン・ミッチェル」の記事における「ミッチェル騒動」の解説
MLB時代から問題行動が多いことで有名だったミッチェルの獲得は、ダイエー球団にとって野球以外の面でもマスコミに注目(批判)されるという「リスク」を承知しなければならないと言えたが、監督に就任したばかりの王貞治を始めとする現場の人間の多くは、ボブ・ホーナーをも上回る直前成績を残していたバリバリの大物メジャーリーガー獲得を強く望んでいた。1985年、当時王が監督を務めていた巨人が、後にMLBを代表する投手となったデーブ・スチュワートの獲得を検討するも、「トラブルメーカー」との評判から断念。このことが王に熱意を持たせる要因になったとされる。こうして破格の高額年俸で獲得したものの、その期待とは裏腹に度重なるトラブルや怪我で成績を残せず途中解雇され、挙げ句の果てに年俸の全額支払いを要求して裁判沙汰にまで発展するという最悪の結果となり、同姓の小説家マーガレット・ミッチェルの代表作『風と共に去りぬ』をもじって「金と共に去りぬ」と揶揄された(この表現は東京スポーツなどのスポーツ新聞や、ブロードキャスターなどのテレビ番組でも使用された)。元阪神タイガースのランディ・バースは一連の騒動について「実力がある選手なのにMLBの球団が契約を結ぼうとしないのは(その選手に何らかの)問題があるから。ミッチェルの場合はトラブルメーカーであった事が理由なのはわかりきっていたはずだ」と発言している。 かつてホークスの公式情報誌『月刊ホークス』には、所属した歴代の助っ人外国人選手を紹介する『FDH助っ人列伝』という連載コーナーがあった。このコーナーでは、選手をボールの数による5段階評価で、「鳴り物入り度」、「貢献度」、「その選手独自の評価」(必ず5になるような内容になっている)の3つの項目においてそれぞれ評価していたのだが、第17号(2002年3月号)にミッチェルが掲載された際は「鳴り物入り度」が5、「貢献度」が3、「困ったちゃん度」が枠外に大きくはみ出す“ 7 ”であった。同コーナーによると、ミッチェル騒動がきっかけで球団はしばらくの間、実績ある大物よりも比較的低年俸で扱いやすい外国人選手を獲得する傾向にシフトしたとされる。
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