ポップへの越境:1970年 - 1980年とは? わかりやすく解説

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ポップへの越境:1970年 - 1980年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 00:38 UTC 版)

リン・アンダーソン」の記事における「ポップへの越境:1970年 - 1980年」の解説

1970年コロムビア・レコード契約した後、アンダーソンは、ジョー・サウス (Joe South) が書いたローズ・ガーデン」をリリースし1970年から1971年はじめにかけて、ジャンル境界越え大ヒットとなった。この曲は、当時の夫であったグレン・サットンがプロデュースしていた。アンダーソンがこの曲を吹き込むことに、サットン当初懐疑的で、アンダーソンサットン説得してレコーディング漕ぎ着けたサットンは、「大きなダイヤモンド指輪みたいなものだって君にあげると約束できたんだ (I could promise you things like big diamond rings)」といった歌詞は、男性が歌うべきだと考えていた。アンダーソンシングルとしてこの曲を出す決断は、コロムビア役員であったクライヴ・デイヴィス (Clive Davis) であった。 「ローズ・ガーデン」は『ビルボード』誌のカントリー音楽チャート首位に立ち、ポップ・チャートである Billboard Hot 100 でも3位まで上昇して国際的な成功を収める至ったイギリスではチャート3位ドイツでは4週にわたって首位となった1971年には、アルバムRose Garden』がリリースされ大成功収めアメリカレコード協会 (RIAA) からプラチナ・アルバム認定された。アンダーソンは、アカデミー・オブ・カントリーミュージック (ACM) の「最優秀女性ボーカル賞 (Top Female Vocalist)」と、カントリーミュージック協会 (CMA) の「女性ボーカリスト賞 (Female Vocalist of the Year)」を、それぞれ1970年1971年受賞した。さらに、グラミー賞もひとつ獲得した1971年には、「You're My Man」と「How Can I Unlove You」の2曲が『ビルボード』誌のカントリー音楽チャート首位に立ち、いずれもポップ・チャートでも63位に達した1972年には、50年代のポップ・ヒットをカバーしたCry」に始まり続いてListen to a Country Song」、「Fool Me」と、3曲が『ビルボード』誌のカントリー音楽チャートトップ5に入った。これらの曲はアルバムListen to a Country Song』に収録された。「Cry」は『ビルボード』誌のカントリー音楽チャート3位、となり、アダルト・コンテンポラリー・チャート16位に達した1973年、「Keep Me in Mind」が彼女にとっての4曲目カントリー音楽チャート首位曲となり、同名アルバムリリースされた。次いで同年2枚目のアルバムとして『Top of the World』発表されて、そのタイトル曲Top of the World」がカントリー音楽チャート2位達すヒットとなった同年には、この曲のカーペンターズによるバージョンも、ポップ・チャートの首位となるヒットとなっている。このアルバムからの2枚目のシングルとなったSing About Love」もカントリー音楽チャート3位まで上昇した1974年、「What a Man My Man Is」がアンダーソンにとって5曲目カントリー音楽チャート首位となった同年に、アンダーソンアメリカン・ミュージック・アワードの「好きな女性カントリー・アーティスト (Favorite Female Country Artist)」賞も受賞した1970年代通してアンダーソン様々なテレビ特別番組や、トーク番組バラエティ番組などゲスト出演したアンダーソンは、ジャンル超えたアピールをもち、普通ならカントリー音楽アーティストがめったに出演しないような番組にも、しばしば登場した当時人気絶頂だった『刑事スタスキー&ハッチ (Starsky & Hutch)』に、ゲスト・スターとして出演することもあった。『The Tonight Show』には数回ボブ・ホープ特別番組には3回出演したディーン・マーティンテレビ特別番組には、何度もゲストとして出演した1977年には、自身冠番組ももち、ゲスト・スターとしてティナ・ターナー登場したアンダーソン成功は、1970年代終わり向けて徐々に縮小していった。その後1970年代のうちには、毎年カントリー音楽チャート顔を出し続けていた。1975年アルバムI've Never Loved Anyone More』からは、「He Turns it into Love Again」と、タイトル曲I've Never Loved Anyone More」の2曲がトップ20入った1976年アルバムAll the King's Horses』からのタイトル曲All the King's Horses」もトップ20入った1977年には、「Wrap Your Love All Around Your Man」が、テレビ番組『刑事スタスキー&ハッチ』取り上げられたことにも助けられて、ヒットとなった1979年には、アルバムOutlaw is Just a State of Mind』からの「Isn't It Always Love」が、1974年以来久々トップ10入り果たした。このアルバムからは、トップ20入りした「I Love How You Love Me」、トップ40入りした「Sea of Heartbreak」もシングル化された。1980年アンダーソンは、コロムビアでの最後アルバムとして、2曲のトップ30ヒット曲を含む『Even Cowgirls Get the Blues』をリリースしたコロムビアから離れた後、アンダーソン3年間にわたって吹き込みを行なわなかった。

※この「ポップへの越境:1970年 - 1980年」の解説は、「リン・アンダーソン」の解説の一部です。
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