ポップへの越境:1970年 - 1980年
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1970年にコロムビア・レコードと契約した後、アンダーソンは、ジョー・サウス (Joe South) が書いた「ローズ・ガーデン」をリリースし、1970年から1971年はじめにかけて、ジャンルの境界を越える大ヒットとなった。この曲は、当時の夫であったグレン・サットンがプロデュースしていた。アンダーソンがこの曲を吹き込むことに、サットンは当初懐疑的で、アンダーソンはサットンを説得してレコーディングに漕ぎ着けた。サットンは、「大きなダイヤモンドの指輪みたいなものだって君にあげると約束できたんだ (I could promise you things like big diamond rings)」といった歌詞は、男性が歌うべきだと考えていた。アンダーソンのシングルとしてこの曲を出す決断は、コロムビアの役員であったクライヴ・デイヴィス (Clive Davis) であった。 「ローズ・ガーデン」は『ビルボード』誌のカントリー音楽チャートで首位に立ち、ポップ・チャートである Billboard Hot 100 でも3位まで上昇して、国際的な成功を収めるに至った。イギリスではチャートの3位、ドイツでは4週にわたって首位となった。1971年には、アルバム『Rose Garden』がリリースされて大成功を収め、アメリカレコード協会 (RIAA) からプラチナ・アルバムに認定された。アンダーソンは、アカデミー・オブ・カントリーミュージック (ACM) の「最優秀女性ボーカル賞 (Top Female Vocalist)」と、カントリーミュージック協会 (CMA) の「女性ボーカリスト賞 (Female Vocalist of the Year)」を、それぞれ1970年と1971年に受賞した。さらに、グラミー賞もひとつ獲得した。 1971年には、「You're My Man」と「How Can I Unlove You」の2曲が『ビルボード』誌のカントリー音楽チャートで首位に立ち、いずれもポップ・チャートでも63位に達した。1972年には、50年代のポップ・ヒットをカバーした「Cry」に始まり、続いて「Listen to a Country Song」、「Fool Me」と、3曲が『ビルボード』誌のカントリー音楽チャートでトップ5に入った。これらの曲はアルバム『Listen to a Country Song』に収録された。「Cry」は『ビルボード』誌のカントリー音楽チャートで3位、となり、アダルト・コンテンポラリー・チャート16位に達した。1973年、「Keep Me in Mind」が彼女にとっての4曲目のカントリー音楽チャート首位曲となり、同名のアルバムもリリースされた。次いで、同年2枚目のアルバムとして『Top of the World』が発表されて、そのタイトル曲「Top of the World」がカントリー音楽チャート2位に達するヒットとなった。同年には、この曲のカーペンターズによるバージョンも、ポップ・チャートの首位となるヒットとなっている。このアルバムからの2枚目のシングルとなった「Sing About Love」もカントリー音楽チャートの3位まで上昇した。1974年、「What a Man My Man Is」がアンダーソンにとって5曲目のカントリー音楽チャート首位曲となった。同年に、アンダーソンはアメリカン・ミュージック・アワードの「好きな女性カントリー・アーティスト (Favorite Female Country Artist)」賞も受賞した。 1970年代を通して、アンダーソンは様々なテレビの特別番組や、トーク番組、バラエティ番組などにゲスト出演した。アンダーソンは、ジャンルを超えたアピールをもち、普通ならカントリー音楽のアーティストがめったに出演しないような番組にも、しばしば登場した。当時、人気絶頂だった『刑事スタスキー&ハッチ (Starsky & Hutch)』に、ゲスト・スターとして出演することもあった。『The Tonight Show』には数回、ボブ・ホープの特別番組には3回出演した。ディーン・マーティンのテレビ特別番組には、何度もゲストとして出演した。1977年には、自身の冠番組ももち、ゲスト・スターとしてティナ・ターナーが登場した。 アンダーソンの成功は、1970年代の終わりに向けて徐々に縮小していった。その後も1970年代のうちには、毎年カントリー音楽チャートに顔を出し続けていた。1975年のアルバム『I've Never Loved Anyone More』からは、「He Turns it into Love Again」と、タイトル曲「I've Never Loved Anyone More」の2曲がトップ20に入った。1976年のアルバム『All the King's Horses』からのタイトル曲「All the King's Horses」もトップ20に入った。1977年には、「Wrap Your Love All Around Your Man」が、テレビ番組『刑事スタスキー&ハッチ』で取り上げられたことにも助けられて、ヒットとなった。1979年には、アルバム『Outlaw is Just a State of Mind』からの「Isn't It Always Love」が、1974年以来久々のトップ10入りを果たした。このアルバムからは、トップ20入りした「I Love How You Love Me」、トップ40入りした「Sea of Heartbreak」もシングル化された。1980年、アンダーソンは、コロムビアでの最後のアルバムとして、2曲のトップ30ヒット曲を含む『Even Cowgirls Get the Blues』をリリースした。コロムビアから離れた後、アンダーソンは3年間にわたって吹き込みを行なわなかった。
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