ホームズの証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 05:18 UTC 版)
この大空白時代にどのような行動をとっていたのか、ホームズ自身は以下のように述べている。 “I travelled for two years in Thibet, therefore, and amused myself by visiting Lhassa and spending some days with the head Llama.(中略)I then passed through Persia, looked in at Mecca, and paid a short but interesting visit to the Khalifa at Khartoum, the results of which I have communicated to the Foreign Office. Returning to France I spent some months in a research into the coal-tar derivatives, which I conducted in a laboratory at Montpelier, in the South of France.” この証言の中には、誤記と考えられる単語が二つ存在する。一つ目は the head Llama で、英語での Llama は南米に生息する哺乳類、リャマを指す。これは the head Lama の誤記で、チベットのラマ教の高僧を指すと解釈されている。二つ目は Montpelier(モントピリア)で、この地名はアメリカ各地に見られるが、南フランスには存在しない。これは Montpellier(モンペリエ)の誤記と解釈されている。以上を踏まえると、以下のような日本語訳になる。 “2年間チベットを旅行し、ラサを訪れて、ラマの高僧と数日を過ごしたりして楽しんだ。(中略)それからペルシアを経由し、メッカを訪れ、ハルツームでカリフと短いが興味深い会見をした。その結果はイギリスの外務省に報告してある。フランスに戻り、南仏にあるモンペリエの研究所で、コールタールの誘導体に関する研究に数ヶ月を費やした。” Head Lama あるいは Grand Lama とは、ダライ・ラマのことを指すが、1892年にはまだ若年だったため、ホームズが面会したのはパンチェン・ラマか、摂政を務めていたテンギエリン大僧院長と考える説がある。カリフとの会見については、1893年にはカリフがハルツームにいなかったという指摘がある。 当時、チベットは鎖国中で外国人は入れず、列強がしのぎを削るペルシア・イスラム教の聖地メッカ・イスラム教徒の反乱が起きたハルツーム、これらはいずれもイギリスの対外政策上重要な場所であった。こうした世界情勢と、外務省へ報告を提出していることを考慮すると、ホームズは「最後の挨拶」と同様に、イギリス政府からの依頼を受けて活動していた可能性がある。正典60編の事件を発生年代順に並べた『詳注版 シャーロック・ホームズ全集』を発表したベアリング=グールドは、大空白時代についてホームズの証言を信用するシャーロキアンを、護教派・正統派と呼んでいる。 なお、インド・ネパールの歴史を専攻した元大学教授テッド・リカーディが、この時期のチベット・ネパール・インド方面でのホームズの冒険行を描いたパスティーシュ『シャーロック・ホームズ 東洋の冒険(原題:The Oriental Casebook of Sherlock Holmes)』を執筆している。(日暮雅通:訳 2004年 光文社文庫 ISBN 13 : 9784334761448)
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