ヘボンによる聖書和訳事業とは? わかりやすく解説

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ヘボンによる聖書和訳事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:45 UTC 版)

日本語訳聖書」の記事における「ヘボンによる聖書和訳事業」の解説

日本キリスト教史上の大立者であり、ヘボン式ローマ字考案者として知られるジェームス・カーティス・ヘボンJames Curtis Hepburn, PN)は、アメリカ合衆国長老教会外国伝道局の宣教師であり、ギュツラフの『約翰ヨハネ福音之伝』を携えて1859年自費日本渡り活動した医師業の傍ら同年より日本宣教していたサミュエル・ロビンス・ブラウンSamuel Robbins Brown, RCAとともに聖書翻訳事業開始し1861年ごろからマルコ福音書翻訳取り掛かったヘボンブラウン中国宣教経験があって漢文読めたことから、翻訳漢訳聖書読み下しから始まった底本推測されているのは「代表訳」と呼ばれる漢訳新約全書』(上海1852年)、およびブリッジマンとカルバートソン(英語版)の漢訳新約全書中国語版)』(寧波1859年)で、ヘボンによるマタイ福音書訳語(後に公刊された版による)には、後者影響強さ指摘されている。1860年代前半には他の福音書創世記出エジプト記一部訳されたらしいが、この時期の訳稿は現存していない。ヘボンブラウン訳業には、バラ (J. H. Ballagh, RCA)、タムソン (David Thompson, PN) ら宣教師および日本人矢野隆山奥野昌綱らが協力したヘボンブラウンらはこの翻訳何度も改訂加えていったが、前述ゴーブル個人訳を出版したことから協力者たちと共に彼らの翻訳完成急いだらしい。途中ブラウン宅の失火による原稿焼失などのトラブル乗り越えつつ、奥野昌綱奔走などもあって、まだ禁教であった1872年に『新約聖書馬可マコ)伝』『新約聖書約翰ヨハネ)伝』、禁教解かれ1873年に『新約聖書馬太(マタイ)伝』を出版している。漢文直訳調を避けて一般人分るようにしながらそれでいて文語格調失わないように工夫することが志向された。確かに文語表現成熟見られ文体統一進んだことは評価されるが、他方漢文訓読体残存している要素なども指摘されている。

※この「ヘボンによる聖書和訳事業」の解説は、「日本語訳聖書」の解説の一部です。
「ヘボンによる聖書和訳事業」を含む「日本語訳聖書」の記事については、「日本語訳聖書」の概要を参照ください。

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