フォルティウス〜チーム目黒〜青森県協会〜チーム青森
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「船山弓枝」の記事における「フォルティウス〜チーム目黒〜青森県協会〜チーム青森」の解説
(※チーム名の変更は日本カーリング協会の規約改定に準じて行われた。) 2003年 4月、小野寺、林の他に北海道南富良野のジュニアチーム「空知こざくら」のメンバーであった目黒萌絵、寺田桜子を加えた4名で「フォルティウス(後の「チーム青森」)」を結成。 2004年 2月、第21回日本カーリング選手権優勝。(フォルティウス) 3月、日本代表候補強化合宿兼選考会にて優勝。(チーム目黒) 11月、第14回パシフィックカーリング選手権優勝。 翌年の第27回世界カーリング選手権大会の出場権を獲得。この時点で日本カーリング協会は「チーム目黒」を2006年トリノ冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表の最有力候補と目しており、翌年開催の第22回日本カーリング選手権に優勝し、かつ前述の世界選手権において日本の同五輪カーリング競技(女子)出場権獲得が達成された場合、同チームをトリノ五輪代表に決定する方針を表明していた。 2005年 2月、軽井沢国際カーリング選手権優勝。 2月23日 - 27日、第22回日本カーリング選手権出場。最終順位は2位。(青森県協会) 第22回日本カーリング選手権における試合結果(予選、決勝リーグともに「チーム土屋(後の「チーム長野」)」に敗戦)を鑑みた日本カーリング協会の協議により、「青森県協会(=チーム青森)」と「チーム土屋」による代表選考試合の開催が決定。トリノオリンピック・カーリング女子日本代表の内定が取り消される。 3月、第27回世界カーリング選手権大会出場。最終順位は9位。この結果、日本女子カーリングチームの2006年トリノ冬季オリンピック出場権を獲得(過去3年間の同選手権における国別ポイントの累積による)。なお、当時スキップであった目黒が前月の軽井沢国際カーリング選手権直後、負傷によりチームを一時離脱。そのため同選手権では林がスキップとして出場している。ただし小野寺は自伝にて「林はフォースとして出場し、スキップは自分が務めた」と記している。また、同自伝には小野寺と林が大会の途中からポジションの交代を行ったとの記述もあり、これに従えば林は全試合のスキップ(あるいはフォース)を務めてはいないことになる。 4月、本橋麻里が「青森県協会(=チーム青森)」に正式加入。 同年11月23日、日本カーリング協会主催によるオリンピック冬季競技大会日本代表(女子)選考会に出場。第1戦で「チーム長野」に勝利しトリノ五輪日本代表権を獲得。なお同選考会では、国際試合の実績で勝る「チーム青森」は1勝、「チーム長野」は2勝をあげることが代表権獲得の条件としてそれぞれ課せられていた。 2006年 2月、トリノ冬季オリンピックカーリング競技(女子)出場。最終順位は7位。 3月、第23回日本カーリング選手権優勝。(チーム青森) 3月21日、青森市内で開かれたトリノオリンピック市民報告会にて「北海道に戻り休養する」旨を発表。 3月31日、青森市文化スポーツ振興公社を退職。 5月17日、競技生活の第一線から一旦離れ、カーリングの普及活動に尽力していく意向を発表。
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