フェニキア文字とギリシア文字の末裔たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:04 UTC 版)
「音素文字の歴史」の記事における「フェニキア文字とギリシア文字の末裔たち」の解説
フェニキア文字は、アラム文字のほかに、ギリシア文字やティフナグ文字(ベルベル語の文字体系)をも生み出した。エジプト語、ベルベル語、セム語では、母音に独立した文字があるとかえって読みづらくなったことだろうが、ギリシア語は形態的に大きく異なっており、母音文字がないのは不都合だった。しかしこれは、単純な方法で解決された。フェニキア文字の字の呼び名は子音で始まっており、この子音がその字の表す音になった。だが、その中にはかなり有声音でギリシア人には発音できないようなものもあったから、若干の字の始めには母音をつけて発音するようになった。この体系の基礎である頭音法の原理によって、その文字は母音を表すものになったのである。[要出典]たとえば、ギリシア人は声門閉鎖音や h 音を使えなかったので、フェニキア文字の ’alep および he は、ギリシア文字のアルファおよび e(後にエプシロンと呼び名が変わる)となり、/ʔ/ および /h/ ではなく、/a/ および /e/ の母音を表すことになった。これによって調達できた母音はギリシア語の12の母音のうち6個だけだったので、ギリシア人は次に二重音字を作ったり字を変形したりした。たとえば ei、ou、o のようなものである(最後のものはオメガとなった)。文字がないことに眼をつぶることにしたものもある。長音の a, i, uがそうである。 そして、ギリシア文字は、現代ヨーロッパのすべての文字体系の起源となった。ギリシア語の初期西部方言のアルファベットでは、イータが h のままとなり、古代イタリア文字や種々のラテン系文字を生み出した。東部方言では、イータは /h/ ではなく母音を表し、東ギリシア型アルファベットから派生した現代ギリシア文字その他の文字体系でも、母音のままである。こういった文字体系にはグラゴル文字、キリル文字、アルメニア文字、ゴート文字(ただしギリシア文字とラテン系文字の両方から文字を採っている)がある。そしておそらくグルジア文字もそうである。 以上の解説によれば、文字体系の発展は単線的に進んだかのようだが、実際はもっと複雑である。たとえば、満州文字は西アジアのアブジャドから生じたものだが、朝鮮語のハングルからも影響を受けている。そしてこのハングルは、系統上は孤立している(従来の見かた)か、または南アジアのアブギダから生じたものである。グルジア文字は、アラム系文字から生じたものだが、その着想にはギリシア文字の影響が強く見られる。ギリシア文字は、その起源を最初のセム語アブジャドからエジプトヒエログリフにまで遡ることができるが、後にコプト文字でエジプト語を表記する際にエジプト民衆書体を数文字採り入れている。さらに、クリー文字(アブギダ)の例がある。これはデーヴァナーガリーとピットマン式速記の混成であるが、後者は系統上は孤立しているとはいえ、その起源はラテン文字の筆記体に遡れそうである。[要出典]
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