フェニキア人の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 07:16 UTC 版)
「前1200年のカタストロフ」の記事における「フェニキア人の活動」の解説
ミケーネ文明が崩壊してギリシャの海上活動が衰退すると、地中海を制したのはフェニキア人であった。それまでパレスチナを中心とする海上交易はウガリットに独占されていたが、カナーン人の末裔であるフェニキア人らはこの好機を逃すことなくテュロス、シドンを中心に活動、地中海沿岸にカルタゴを代表とする植民都市を築いた。 前11世紀後半になるとフェニキアの活発な取引はバイクローム土器 (en) と呼ばれる二色で彩色された土器の分布からその範囲が想像されており、フェニキア人の本拠地であるフェニキア海岸(北はテル・スカス(Tell Sukas)、南はカルメル山半島)からシリア(アムク (en) 平野、ホムス地方)、パレスチナ北部(ガリラヤ、メギッド、ベテ・シェメシュ (en) )、フィリスティア(テル・カシレ (en) )、ネゲブ北部(テル・エサル、テル・マソス)、ナイル・デルタ(テル・エル=レタベ)などでこの土器が発見されている。また、彼らの活動は商業だけではなく軍事活動も伴っていたことが考古学的資料から明らかになっている。
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