フィラデルフィア拿捕事件
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「トリポリ港の戦い」の記事における「フィラデルフィア拿捕事件」の解説
1803年10月3日、アメリカ海軍は艦隊司令官をエドワード・プレブルに代え、コンスティチューションを旗艦とする増援艦隊を派遣した。1801年8月1日の戦闘以来、小競り合いはあったものの、大きな戦闘は発生していなかった。 プレブルは、シチリア島のシラクサに艦隊の根拠地を構え、指揮を執ることとした。 しかし、作戦行動を計画中の1803年10月31日、派遣艦隊の中核的存在であったフィラデルフィアがトリポリ側の小型艦を深追いして座礁し、干潮の時間帯と重なって離礁できなくなってトリポリ側の砲艦に拿捕され、ウィリアム・ベインブリッジ艦長以下乗組員307名がトリポリ側の捕虜になる事件が発生した。 この事態を重く見たプレブルは、捕虜になったベインブリッジからの手紙での提案もあって、拿捕されたフィラデルフィアがトリポリ側の手によって戦力化されるのを防ぐため、事前の会議でフィラデルフィアの破壊作戦への従事を志願していたスティーブン・ディケターに対してフィラデルフィアの破壊を命令した。 命令を受けたディケーターは、イントレピッドと改名したトリポリ側から拿捕したケッチ漁船に兵員を乗せ、夜間に移乗攻撃をかけてフィラデルフィアを破壊する作戦を立案し、1804年2月16日に作戦を実行した。現地の漁船に偽装し、募集した志願者76名を乗せたイントレピッドは、艦内に収容しきれなかった約10名を上甲板に乗せていたものの、トリポリ側に怪しまれることなく要塞の砲台の真下に係留されていたフィラデルフィアに接近、アメリカ海軍の完全な奇襲となったこの戦いは、フィラデルフィアの左舷にイントレピッドが強行接舷の後、水兵の斬り込み隊を送り込み、短時間の白兵戦でフィラデルフィアを制圧し、イントレピッドから持ち込んだ可燃物に放火して退却した。 なお、当時ツーロン港の海上封鎖作戦に従事していたホレーショ・ネルソンは、この作戦の成功を見て、「当代で最も大胆かつ勇敢な行為である」と賞賛している。
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フィラデルフィア拿捕事件
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「第一次バーバリ戦争」の記事における「フィラデルフィア拿捕事件」の解説
1803年10月3日、アメリカ海軍は艦隊司令官をエドワード・プレブルに代え、コンスティチューションを旗艦とする増援艦隊を派遣した。1801年8月1日の戦闘以来、小競り合いはあったものの、大きな戦闘は発生していなかった。 プレブルは、シチリア島のシラクサに艦隊の根拠地を構え、指揮を執ることとした。 しかし、作戦行動を計画中の1803年10月31日、派遣艦隊の中核的存在であったフィラデルフィアがトリポリ側の小型艦を深追いして座礁し、干潮の時間帯と重なって離礁できなくなってトリポリ側の砲艦に拿捕され、ウィリアム・ベインブリッジ艦長以下乗組員307名がトリポリ側の捕虜になる事件が発生した。 この事態を重く見たプレブルは、捕虜になったベインブリッジからの手紙での提案もあって、拿捕されたフィラデルフィアがトリポリ側の手によって戦力化されるのを防ぐため、事前の会議でフィラデルフィアの破壊作戦への従事を志願していたスティーブン・ディケーターに対してフィラデルフィアの破壊を命令した。 命令を受けたディケーターは、イントレピッドと改名したトリポリ側から拿捕したケッチ漁船に兵員を乗せ、夜間に送り込んでフィラデルフィアを破壊する作戦を立案し、1804年2月16日に作戦を実行した。現地の漁船に偽装し、募集した志願者76名を乗せたイントレピッドは、艦内に収容しきれなかった約10名を上甲板に乗せていたものの、トリポリ側に怪しまれることなく要塞の砲台の真下に係留されていたフィラデルフィアに接近、アメリカ海軍の完全な奇襲となったこの戦いは、フィラデルフィアの左舷にイントレピッドが強行接舷の後、水兵の斬り込み隊を送り込み、短時間の白兵戦でフィラデルフィアを制圧し、イントレピッドから持ち込んだ可燃物に放火して退却した。 なお、当時トゥーロン港の海上封鎖作戦に従事していたホレーショ・ネルソンは、この作戦の成功を見て、「当代で最も大胆かつ勇敢な行為である」と賞賛している。
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