フィラデルフィア方面作戦の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 13:59 UTC 版)
「ウィリアム・ハウ」の記事における「フィラデルフィア方面作戦の結果」の解説
詳細は「サラトガ方面作戦」を参照 フィラデルフィア方面作戦と同時進行して、ジョン・バーゴイン将軍はモントリオールからオールバニ占領を目指すサラトガ方面作戦の遠征隊を率いていた。バーゴイン軍は取りやめられたニューヨークからのオールバニ遠征軍と合流することになっていた。バーゴインの作戦は、ジャーメインがハウからハドソン川を遡ってオールバニへは行かないと知らされた後の1777年2月28日に承認されていた。当時まだロンドンにいたバーゴインにハウの変更された作戦についてジャーメインが伝えたかどうかは不明なままである。ある資料では伝えたことになっているが、他の資料では作戦がかなり進行するまでバーゴインはその変更を知らされなかったとしている。ハウがカナダからの侵攻を支援すると期待される程度についてジャーメイン、ハウおよびバーゴインの3者が同じ認識を持っていたかどうかも不明である。ハウは指示に従えずバーゴイン軍を実質的に捨てたのだという者もいる。バーゴインが使命を果たせなかったので、その責をハウとクリントンに負わせようとしたのだという者もいる。 このような主張のどれが真実であろうと、バーゴイン軍はサラトガで破れ降伏したことは、ハウ軍がジャーマンタウンで危うく負けそうに成ったこととも組み合わされて、この戦争の当事者同士の戦略を劇的に変化させた。ハウがフィラデルフィアを占領したことで苦しんでいた大陸会議に対する支援が強化され、サラトガでの勝利はフランスをしてイギリスに対する戦争に参入する決断をさせた。スペインやオランダも間もなく参入した。この敗戦は当時のフレデリック・ノースが率いていたイギリス政府の力を弱めることにもなった。
※この「フィラデルフィア方面作戦の結果」の解説は、「ウィリアム・ハウ」の解説の一部です。
「フィラデルフィア方面作戦の結果」を含む「ウィリアム・ハウ」の記事については、「ウィリアム・ハウ」の概要を参照ください。
- フィラデルフィア方面作戦の結果のページへのリンク