フィラデルフィア市への移築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:09 UTC 版)
「松風荘」の記事における「フィラデルフィア市への移築」の解説
松風荘は日本からアメリカへのプレゼントであったため、2年間の展示終了後の移築先が問題になった。ワシントンD.C.の日本大使館脇にという案もあったが、結局MoMAはフィラデルフィア市フェアモント公園に松風荘を寄贈することに決めた。 フェアモント公園は日本とゆかりの深い土地である。1876年の米国生誕百年祭を記念して公園で開催されたフィラデルフィア万国博覧会に、日本が初めて公式に参画し 、日本住宅、及び日本バザーを建立した。その建設の様子を現地の新聞が報道するなど、この建物は現地で大きな注目を集めた。また1904年にフランスからのルイジアナ購入を記念して開かれたセントルイス万国博覧会に、日本が展示した仁王門(茨城県西郷村(現・城里町)の清音寺の山門を移築)を、フィラデルフィアの篤志家2名が買い取り、1908年に現在の松風荘の所在地に移築されていた。1909年には現存の池を中心にした日本庭園も建設されたが、約50年後の1955年に、恰も松風荘に場所を譲るかのように、仁王門は失火により全焼してしまった。フィラデルフィア市は1957年に日本から宮大工と庭師を呼んで松風荘を移築再建し、1958年10月19日に一般公開を始めた。 その後の管理が不十分で建物、庭園が荒廃したため、1976年のアメリカ建国200年を機に、フィラデルフィア市長の依頼で、再度日米協会が中心になって民間から資金を募り、屋根の修理や建具などの取り替えを行った。1982年には、公園に依頼されて非営利法人、松風荘友の会(Friends of the Japanese House and Garden)が結成され、松風荘の保存維持、管理に当たっている。友の会は松風荘を日米文化交流の架け橋として、茶会、夏祭り、七五三、観月会などの文化事業を行っている。
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