ピュイゼギュール侯爵とメスメリズム
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「アマン・マリー・ジャック・ド・シャストネ・ド・ピュイゼギュール」の記事における「ピュイゼギュール侯爵とメスメリズム」の解説
動物磁気は、ドイツの医師フランツ・アントン・メスメルが提唱した説であったが、1784年のフランス王立科学アカデミーの調査で実在を否定されたものの、その後も民間レベルにおいては試行され続けていた。 ピュイゼギュール侯は、動物磁気術を弟であるシャストネ伯爵 (Antoine-Hyacinthe, the Count of Chastenet) から学んだ。シャストネ伯は既にメスメルの弟子であり、ピュイゼギュールもまた、居城に物理実験室を持つなど開明的な資質があったため、当初懐疑的だったピュイゼギュールもすぐさま動物磁気に感化された。 初期の、かつ最も有名な患者の一人は、ピュイゼギュール家に代々仕えていた、ヴィクトル・ラースという23歳の農民だった。ラースはピュイゼギュールによって簡単に“磁気化”したが、メスメルが唱えるような、痙攣や運動錯乱を伴う劇的な反応とは異なり、まるで睡眠のような奇妙な振舞いを見せた。 ピュイゼギュールは、その睡眠に似た状態を「人工夢遊病」と名付けた。この状態になった患者は、一種奇妙な睡眠に入るのだが、普通の覚醒状態よりもさらに意識が明晰で、術者とラポールを持ち、命じられるままに行動し、術後には記憶を喪失する。これは、言うまでもなく今日「催眠」「トランス」と呼ばれているものであり、1842年にイギリスの医師ジェイムズ・ブレイドが催眠と名付ける50年以上前に、既に発見されていたのである。そして、ビュイゼギュールが人工夢遊病で発見した幾つかの特徴は、彼自身の発見によるものであった。 ビュイゼギュールは、居城のあったビュザンシーで領民に対する治療を行い始めた。当時のどの貴族もそうであるように、貧者から治療費を請求することはなかった。彼の治療は評判を呼び、フランス国外からも患者がやってくるようになった。増えすぎた患者に対応するため、彼は“磁化”した大樹を用いた集団治療をしばしば行った。 1785年、ピュイゼギュールはストラスブールに出征し、当地でも動物磁気術を施した。そして、当地のフリーメイソンの要請に基づき、動物磁気についての講演を行った。その結語は以下の通りである。 私は信じています。私の中に、一つの力の存在するのをこの信念から発するのです。私がこの力を使おうとする意思は動物磁気の原理全部は二語の中に集約されます: 信じよ そして 意志せよ私は“信じて”います。生命原理を発動させる力が私にはあると。私は“意志し”ます。それを活用したいと。私の学ぶ方法はこれに尽きます 信じ、そして意志してください。皆さん、そうすれば、皆さんは私と同じように出来るはずです。 — ピュイゼギュール侯
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