ハリケーン・ヒューゴへの飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 05:11 UTC 版)
「1989年アメリカ海洋大気庁P-3エンジン喪失事故」の記事における「ハリケーン・ヒューゴへの飛行」の解説
ロッキードWP-3DオライオンN42RF号機(NOAA42)・通称カーミットは、3台のコンピュータ及び50台以上ものナビゲーションシステムと科学機器からなるレーダーを搭載したハリケーン・ハンターであり、ハリケーン・ヒューゴの研究フライトを務めることとなった。ハリケーン・ヒューゴは9月10日にアフリカの西海岸沖で発生後、カリブ海諸島と米国東海岸に向かって西に移動しているところであった。ハリケーンスケールではカテゴリ2~カテゴリ3と診断されていた。NOAA42は高度460メートルからハリケーン内部へ侵入し、その内部と周辺の気象状態を調査する予定であった。 9月15日15時55分にエンジンを始動。16時13分30秒、NOAA42は、バルバドスのグラントレー・アダムス国際空港を離陸した。16時23分には高度2900メートルまで上昇し、搭乗していた気象学者はレーダーでハリケーンの確認を開始した。しかし16時30分に、機体後部に設置されていたレーダーのスクリーンが突然停止した。電子エンジニアのGoldsteinとShrikerがレーダーの故障を報告し修理を行う間、前方のレーダーだけが稼働していたが、観測できる範囲は非常に狭くなった。この状態ではヒューゴの通過は難しいと判断し、NOAA42はヒューゴの周りを旋回しながら、レーダーの修理の完了を待った。 電子エンジニアがレーダーを修理している間に、気象学者はヒューゴの調査を行った。ヒューゴは、左右対称の綺麗な円形であり、直径約643キロメートル、目の直径は19キロメートルに及ぶ非常に強力なハリケーンであった。風速は時速240キロ、中央の圧力は950ミリバールに達していた。ヒューゴはカテゴリ3のはずであったが、気象学者たちがドップラーレーダースクリーンを見たところ、目の周りに明るいオレンジ色と赤色の濃い輪が出現していた。これは、ヒューゴが非常に強力なハリケーンであることを示していた。NOAA42の気象学者チームは、一週間前に現れたカテゴリ4のハリケーン・ガブリエルに相当するレベルである、とヒューゴを評価した。 16時55分、後部レーダーの修理が完了した。気象学者と機長は、ヒューゴへの侵入高度について議論を始めた。FAC(前線航空管制)は、NOAA42の1500メートル以下の下降を意図していなかった。しかし、カテゴリー4であるハリケーン・ガブリエルへも高度460メートルで侵入し無事に通過していたため、それほど危険ではないという結論に達した。だが、仮に乱気流が非常に強い場合は、高度1500メートルまで上昇する必要があった。 17時01分、NOAA42は機首を下げ暗い雲の壁へ向かって毎分300メートルの速度で垂直降下を始め、17時05分には高度460メートルとなった。降下開始時の風速は時速74~92キロであったが、高度460メートルの時点では時速157キロにまで達しており、視界は急速に暗くなった。数分後、NOAA42はヒューゴの乱気流を抜け、視界は再び明るくなった。レーダーを見ると、「目」は真っ赤な輪で囲まれており、さらにその輪を取り囲むように明るいオレンジと赤の輪が広がっていた。ベテラン気象学者のマスターズは高度を1524メートルまで上げるように指示をしたが、3分後には風速が時速111キロまで落ちたため、高度460メートルのままヒューゴの中心へ侵入することに決めた。その後、マスターズはこの決定を「ばかげた間違い」と呼んだ。
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